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旅人のままでいたら 木村衣有子(文筆家)

ほんのひととき
小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え、「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2021年3月号「そして旅へ」より)

 東京には、仕事もなく、友人もおらず、自分はただのゆきずりの存在であるのが悲しくて、夜更けに駅で泣いていたのは少し昔の私。年の頃は22か23、住んでいた京都から遊びに来ており、銀座で小津だったか古い仏映画だったかを観終えてさあ帰途につこうかというときだった。同行した当時の彼氏は困惑していた。この東京に焦がれる気持ちの高まり、そして行き場のなさが理解されないのがもどかしかったが、今思えば無理もない。

 東京旅行は、私にとって、旅としての純度がとても高かった。旅とは、その土地にとって自分はどこまでもよそものだと実感できる場所を目指すことだから。去るときには、にっこりして、また来たいね、いつかね、おだやかにそう言えたらいい。でも、どうしても縁を結んでみたい場所だったから、駄々をこねた。

 その東京には、26歳から住み着いている。

 引っ越してきてからの1年は、今度は、それまで暮らしていた京都が懐かしくてたまらずにちょいちょいひとりの寝床で泣いていたもので、我ながら情けない。そして、東京は電車が混みすぎだの、ベランダの手すりがすぐに埃で真っ黒に汚れるだのなんだのと悪態をついた。殊更に住んでいる街を貶すのは大人気ないし、涙がこぼれるほどの憧れを持っていたかつての私にも申し訳ないと思い直して口をつぐんだときには、住みはじめてからもう10年が経っていた。

 旅人として東京を目指していた頃は、高いところにいつものぼっていた。都庁45階の展望室には幾度も足を運んだ。202メートルの高さから俯瞰する、人工物ばかりが織りなす風景に感じ入った。同じくらいの高さでも、東京タワーではなかったのは、都庁の展望室は入場料はいらないという理由からである。当時は、スカイツリーはまだ影も形も、計画すらなかった。長いこと、東京の東に暮らしている上に、スカイツリーの建設がはじまり、ぐんぐん伸びていく様も、開業前の試験点灯も、家の窓から、あるいは足元から、ずうっと見てきた。それだから、愛着がある。とはいえ、のぼってみたことは実はまだない。いつぞや、岩手から上京してきた友人に、のぼるつもりだと事前に知らされたときも、友人がおりてきたところで待ち合わせをしたくらいで、正直言って、東京で、高いところにのぼるということに前のめりにはもうなれないのだった。

 高いところから眺め渡さなくとも、街の様相を把握したつもりでいるから。地に足をつけて暮らしているという実感から離れたくない心理が働くせいで。そんな理由を頭の中に並べてみる。

 東京に越してくることなく旅人のままでいたとしたら、憧れの色眼鏡をかけたまま、今、東京駅に着いたなら、私はまずどこを目指すだろう。素敵な棚のある本屋か、コーヒーがお代わりできる喫茶店か。すっかり見慣れてしまって通りすがりに目をやることも少なくなっている、丸の内北口のあのドーム型の天井にあしらわれた白色の大鷲のレリーフに、しばらく見とれたままでいるだろうか。

文= 木村衣有子 イラストレーション=林田秀一

木村衣有子(きむら ゆうこ)
文筆家。1975年、栃木県生まれ。18歳から8年間、京都暮らしを経験。食文化の探求と飲食書評を中心に幅広く執筆を続ける。『キムラ食堂のメニュー』(中公文庫)、『味見したい本』(ちくま文庫)、『しるもの時代』(木村半次郎商店)など著書多数。

出典:ひととき2021年3月号


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