「めがねのまち」のモニュメント|伊藤美玲(眼鏡ライター)
鯖江駅を出ると、「めがねのまち さばえ」と書かれた大きな眼鏡型のモニュメントが出迎えてくれる(上記写真)。シンプルでいて力強い、街の象徴たるモニュメントを前にすると、毎回ワクワクせずにはいられない。今日もこの地に来た証にとそれをカメラに収めるのは、私にとってもはや取材前の儀式のようなものだ。
眼鏡業界をメインに取材をする“眼鏡ライター”の私は、毎年1~2回はこの鯖江を訪れている。というのも、福井県鯖江市は国産眼鏡フレームの9割以上を生産する一大産地。世界的にも高級フレームの産地として知られており、国内のみならず欧米のラグジュアリーアイウェアブランドの多くが、高いクオリティを求め鯖江の工場に生産を依頼している。そう、鯖江は日本が世界に誇る眼鏡産地なのだ。
鯖江にはフレームを自社で一貫製造できる工場も存在するが、基本的には分業制が主流。眼鏡は小さいながら製造までの工程数が多く、プラスチックフレームで200工程以上、メタルフレームでは300工程以上あると言われる。加えてその一つひとつの専門性が高いため、各工場はそれぞれの得意分野に集中し、技術に磨きをかけることで産地全体の技術向上に寄与してきた。いうなれば、街全体がひとつの工場として発展してきた形だ。
そのため、街のあちこちに中小の工場、家の軒先で作業をしているような工房が点在し、1本の眼鏡フレームは完成までに市内をぐるぐると旅しながら、さまざまな人の手を介して組み上げられていく。
これまで様々な工場を取材してきたが、共通して耳にするのが「日本の職人は、自身が“完璧”と定義するレベルがほかの国に比べて高い」ということ。100%では飽き足らず、つねに120%の完成度を目指す。非効率といえるほど繊細で丁寧な手仕事こそ、鯖江の眼鏡づくりの真髄であるのだと。
実際に取材をしていても、掛け心地を高めるためのひと手間、見えない部分まで美しさを追求するそのひと手間に「そんなことまでやるの!?」と驚かされることも多い。でも、彼らはそれを「良いものを作るには当然」とばかりに話し、決して偉ぶるところがない。なぜ、皆こんなにも謙虚なのだろう。だからこそ、外野である私がその魅力を大きな声で語らなくてはと、鯖江に来るたびその思いを強くする。
自治体や眼鏡業界の取組みにより、眼鏡産地・鯖江の知名度はだいぶ向上してきた。一方で、近年は職人の高齢化や後継者不足の問題が顕著になってきている。とくにコロナ禍には受注数が激減したことで、廃業した小規模な事業者も少なくなかったという。先述の通り鯖江は分業制が主流であるため、特定の行程を担う業者がなくなれば、それは鯖江の生産全体に影響を与えかねない。もはやそれは、日本製の眼鏡が存続の危機にあると言っても過言ではないだろう。
この大きな課題に対し、自分に何ができるのか。正直まだわからない。でも、これからも鯖江を取材し続け、丁寧に話を聞きながら、考えていきたいと思う。だから、私はこれからも鯖江に通う。1本の眼鏡に、パーツの一つひとつに至るまで、どれだけ作り手の技や思いが宿っているのか。それらを伝え続けることも、産地活性化の一助になると信じて。
ちなみに今年の3月、北陸新幹線が福井・敦賀まで延伸した。じつはそれに伴い鯖江駅は特急が廃止になったため、直近の鯖江取材は福井駅での集合となった。東京から乗り換え無しで福井に行けるのはたしかに便利だが、鯖江駅に降り立てないのは、眼鏡好きとしてどこか寂しい。あのモニュメントを前にしたときの「鯖江に来たのだ」という高揚感はやはり特別なものだったなと、今改めて感じている。次の取材は福井から1本乗り継ぎ*、鯖江駅から始めようと思う。
文・写真=伊藤美玲
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