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菊の香やな良には古き仏達|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載がまもなく書籍化されます。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)』(2021年10月19日発売、ウェッジ刊 ※予約受付中)より抜粋してお届けします。

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菊のな良(奈良)には古き仏達 芭蕉

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古代のものを心にかけて

 元禄七(1694)年旧暦九月八日、芭蕉はしばらく滞在した郷里伊賀を発って大坂に赴く。これが芭蕉にとって最後の旅となった。出発がこの日になったのは、九日の重陽ちょうようの節句を奈良で迎えようという気持ちからである。この節句には酒盃に菊を浮かべた酒を飲んで長寿を祈るという意味があった。

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 体力の衰えを感じていた芭蕉は古都奈良で菊の酒を酌んで、衰老に傾きつつある体調を回復させたいと考えたのである。支考しこう*が残した『笈日記おいにっき』によれば、奈良での宿は「猿沢の池のほとり」であった。体は衰えているが、月も美しく鹿の声も響いていたので、「かの池のほとりに吟行」した。奈良は芭蕉の愛した地であった。

各務かがみ支考:蕉門十哲の一人

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猿沢池

 掲出句は『笈日記』所載。句意は「菊の香が漂っている、奈良には古い仏像群が居並んでいる」。

 芭蕉は古き物、時代を背負ったものに関心が深かった。そのようなものを見ると深い感激を味わった。その感激は『おくのほそ道』の壺のいしぶみ鹽竈しおがま神社の「宝燈」、そして平泉の中尊寺を見ての記述によって知ることができる。東北にも残されているが、そのようなものは奈良が本場である。奈良の古きものにどんな関心を持っていたのだろうか。

 土芳どほう*の『三冊子さんぞうし』に次のような記述が見える。「一年ひととせ大和の法隆寺に、太子の開帳有。そのころ、太子のかんむり見落し侍るとて、後の開帳に又赴かれし也。かゝる古代のものを心にかけて、旅たたれし師の心のほど、思ひやるべし」。

*服部土芳:松尾芭蕉と同郷の後輩で、蕉門十哲の一人として加えられることもある。

 意味は「ある年、大和の法隆寺で聖徳太子像の開帳があった。芭蕉先生はその際、太子像の冠を見落としたということで、後年の開帳に再度向かわれた。このような古い時代のものに関心をもって、旅立たれた先生の心の有様ありようを思いやるべきだ」。

 芭蕉は法隆寺の開帳で聖徳太子像を見るが、その冠を見落としたということで、次回の開帳を待って再訪する。大安隆だいやすたかしの『芭蕉 大和路』によれば、この聖徳太子像(摂政像)は法隆寺聖霊院に伝えられている、壮年の姿を刻んだ藤原時代の像である。

 現在、国宝に指定されているこの像は、太子の忌日である旧暦二月二十二日の聖霊会しょうりょうえに毎年開帳されてきた(現在では三月二十二日に行われている)。この像の冕冠べんかんは中国の天子が戴いていたもので、頭上に板を乗せ、その周囲に飾りの糸縄しじょうを垂らしている。まさにこの像の見どころであった。なんという粘り強い執着であることか。

 芭蕉は「古人の跡をもとめず、古人のもとめたる所をもとめよ」という空海のことばを愛した(「許六離別詞きょりくりべつのことば」〈俳諧撰集『韻塞いんふたぎ』〉所載)。意味は「古人が残した形骸を追わず、古人が求めようとしたものを追い求めよ」。開帳に再度おもむく執着によって、「古人の求たる所」を見極めようとしているのだ。

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興福寺曼荼羅の仏達

 さて、掲出句はどんな場所がイメージされているのだろう。「仏達」ということばから堂に数多くの像が祀られているような印象を受けてきた。それは法隆寺でも、「若葉しておんめの雫ぬぐはばや」を残している唐招提寺でもないような気がする。

 ぼくはこの句を誦するたびに東大寺法華堂(三月堂)の内陣を思い出していた。そこには不空羂索ふくうけんさく観音像を中心に天平の乾漆像、塑像が十数体立ち並んでいる。「二月堂に籠もりて 水とりや氷の僧のくつの音」という句を残している芭蕉が、二月堂にとなるこの堂を拝していないとは考えがたい。

 ぼくが訪ねたのは八月なかば、蟬声せんせいが堂をつつんでいた。西の窓から夕暮れの光が差し込むと、乾漆像の表面に残っている金や朱や緑が映える。堂を守っている方もこの時間が一番見えやすいと言っていた。不空羂索観音が前に組んだ手に挟んでいる水晶の宝珠にライトを当てて見せてくれる。江戸時代にはどんなかたちで参拝がなされていたのか尋ねたが、わからないとのことだった。観音の前には菊や鶏頭など秋の花が生けてあった。

 奈良に来て興福寺から春日大社のあたりを歩いていると、「春日宮曼荼羅」の中を歩いているような気分になる。この曼荼羅は天上から春日大社の社殿と周辺を眺めた図である。その絵のなかを歩いている自分をもう一人の自分が天から見下ろしているというような不思議な気分になるのだ。

 その垂迹すいじゃく曼荼羅のもっとも古い形式を持つものが「興福寺曼荼羅図」(京都国立博物館蔵)である。春日大社の社殿は上部にわずかに描かれていて、その下には興福寺の諸像が丁寧にぎっしりと描かれている。西金堂さいこんどうに当たる部分には釈迦如来を囲んで阿修羅像など八部衆像や釈迦十大弟子の姿も見える。

「な良には古き仏達」とはまさにこの絵のイメージでもあるとも思う。今まで芭蕉が拝してきた奈良のさまざまな仏達を高いところから見下ろしているような雰囲気も感じられるのだ。

 取り合わせている「菊の香」は懐かしく、古の世を思わせて、うごかない。「花」でなく「香」のみを出したのも、諸像のイメージを立たせるのにあずかっている。芭蕉は遠くない死を意識している。そして、南都の仏像に与えられている永遠の命を思う。その命をみずからの句にも分かちたいと願っているような気がするのだ。

 うつしみのわれ汗しつつ像の中 實
 涼新た宮曼荼羅の内あゆむ

※この記事は2002年に取材したものです

小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。

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※本書に写真は収録されておりません

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