鬼はなぜ藤が苦手なのか? |『鬼滅の刃』ヒットに潜む異界の符牒(4)
文・ウェッジ書籍編集室
貴船神社の社人・舌氏の先祖は牛鬼
京都洛北の貴船は山深い渓谷の地ですが、ここに鎮座する古社が貴船神社です(京都市左京区鞍馬貴船町)。社伝のひとつによれば、神武天皇の母・玉依姫が「黄船」に乗って淀川から賀茂川をへて貴船川をさかのぼり、川のほとりに上陸して一宇の祠を営んだのが起こりだとされます。
人里離れた幽邃の地にあるせいか、貴船神社は「鬼」との関わりが深く、『平家物語』「剣巻」や謡曲『鉄輪』には、嫉妬深い女性が貴船の神に祈願して恐ろしい鬼女と化し、妬ましい相手を襲うという話が出てきます。
貴船神社の社人は鬼の子孫である、という話も伝えられています。そのことを記すのは、「舌」という名字の旧社家に伝来した『黄舩社人舌氏秘書』という文献です。この奇書はいまだ公刊されていませんが、梅原猛氏の著書(『京都発見 三』)にその内容が紹介されているので、それを要約してみます。
貴船神社の社人・舌氏の始祖・仏国童子は、貴船大明神に従って天上から降臨した異形の鬼であったとされます。鬼が「童子」と名乗っている点には、酒呑童子と通じるものがあります。
貴船と鬼との関わりを示すものはまだほかにもあります。中世に成立した御伽草子『貴船の本地』がそれで、宇多法皇(867~931年)の時、鞍馬山の奥にある鬼国の大王の娘が中将定平と契り、紆余曲折のうえ、最後は貴船の神になり、中将は客人神になるという物語です。
鞍馬寺のある鞍馬は貴船の東隣りであり、やはり山深い幽邃の地で、天狗の首領ともいえる魔王尊の本拠地でもあります。京都の人びとは洛北の深山幽谷には鬼や天狗の住みかがあると想像していたのでしょう。
深泥池の豆塚からわかる鬼が藤の花を嫌うわけ
貴船神社から南へ8キロほど下った場所に、深泥池という浅い池があります(京都市北区上賀茂深泥池町)。鞍馬寺・貴船神社への参詣道である鞍馬街道のほとりにあり、「タクシーに乗る幽霊」の怪談の地として知られますが、鬼にまつわる興味深い伝説もあります。
『京都民俗志』(1933年)によると、貴船の奥の谷と深泥池のほとりは地下の道でつながっていて、ときおり貴船の鬼がこの道を通って池のほとりの穴からはい出し、京洛に姿をあらわすことがあった。人が豆をたくさん投げこんでその穴をふさぐと、以後、鬼はあらわれなくなったといいます。このことにちなんで毎年、節分にはこの場所に炒り豆を捨てる風習ができ、そこは豆塚(魔滅塚)と呼ばれるようになったとされます。
室町時代に編纂された百科辞典『壒嚢鈔』(1466年成立)にも、深泥池(美曾路池)のほとりに鬼が住む穴があったと書かれてあり、宇多天皇の時代、その穴を封じ、炒り豆で鬼の目を打ったのが節分の豆まきの起こりであるとしています。
深泥池の近くには、江戸時代に貴船神社の分社として建てられた深泥池貴舩神社があります。豆塚の跡は今でははっきりしませんが、このあたりにあったと思われます。
『鬼滅の刃』に登場する鬼はなぜか藤の花を極度に嫌います(第6話)。藤はマメ科に属する植物で、その実は枝豆などと同じ鞘状です。野暮な詮索になりますが、藤の花が咲き乱れる園は、鬼たちからすれば、大量の豆が撒き捨てられた巨大な豆塚のような悪夢めいた光景と映るのかもしれません。
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