迷花言不帰|心に響く101の言葉(5)
奈良の古刹・興福寺の前貫首が、仏の教えと深い学識をもとに、古今の名言を選び、自らの書とエッセイでつづった本書『愛蔵版 心に響く101の言葉』(多川俊映 著)よりお届けします。
迷うこともまた良し
越後の良寛さんに、
襤褸 また襤褸 襤褸これ生涯
という有名な句で始まる一篇の漢詩がある。襤褸とはボロ、やぶれ衣だ。
見かけは継ぎはぎだらけのボロ衣だけれど、
月を看て終夜嘯き
花に迷うて言に帰らず
そんなことより、夜通し月を詠み、花を探してどこまでも、だ。ふつうは、ボロは着てても心は錦、とはいかない。貧すれば鈍してしまう。あるいは、ボロや流行遅れなぞはいやで、とにかくいいものが着たいとあくせくして、それで少しは生活のそとづらがよくなるかも知れない。
しかし、どのみち、それは物の世界の話である。だから、あくせくしても、思惑通りになるとはかぎらない。そのときは、どうするのか――。またまた、貧すれば鈍する、だ。
この月や花を相手にして示されるのは、心の世界である。そこが豊かで自由闊達であれば、そとづらは問題ではない。錦があれば良し、なくとも、また良い――。
ところで、この「迷花言不帰」の一句を独り歩きさせて、停滞のなさと捉えることもできる。その場合、花とは自分の志すものだ。それを探し求めて、迷うこともあろう。しかし、迷わずして、花に行き着けるだろうか。迷いと停滞は別だ。
多川俊映(たがわ・しゅんえい)
1947年、奈良県生まれ。立命館大学文学部心理学専攻卒。2019年までの6期30年、法相宗大本山興福寺の貫首を務めた。現在は寺務老院(責任役員)、帝塚山大学特別客員教授。貫首在任中は世界遺産でもある興福寺の史跡整備を進め、江戸時代に焼失した中金堂の再建に尽力した。また「唯識」の普及に努め、著書に『唯識入門』『俳句で学ぶ唯識 超入門―わが心の構造』(ともに春秋社)や『唯識とはなにか』(角川ソフィア文庫)、『仏像 みる・みられる』(KADOKAWA)などがある。
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