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消えゆく町、消せない思い|千石英世(米文学者・文芸評論家)
各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイ「あの街、この街」。第12回は、米文学を代表する小説『白鯨』を翻訳した作品で評価が高い米文学者であり、文芸評論家の千石英世さんです。この連載のテーマである「街」あるいは「町」、その違いについて綴っていただきました。千石さんが考える良い町とは――。
サザエさんの住んでいる町は、町であって「街」ではないだろうね。サザエさんは、それにカツオ君にしても、ワカメちゃんにしても、きっと町のおうちのひとなんだ。町に比して、街には生活の匂いが感じられないということなのかな。街って字には画数が多いし、見た目縦長の文字だし、「街」と書くと街はビルディングが立ち並ぶ街になり、一方、「町」と書くと近くに商店街でもありそうな町となるのじゃないかな。
タワーマンションが立ち並ぶウォターフロントの素敵におしゃれな街など、町という文字を受け付けないだろうね。「おしゃれな町」と書いてもピンと来ない。マンション業者の宣伝ビラには使わないコロケーションだろうね。やっぱ「おしゃれな街」。
そんな街が拡大し、そんな町が消えていくのだ。今。
東京では京成鉄道立石駅まえの「町」が消えるらしい。小田急鉄道下北沢駅前はおしゃれな「街」に進化してしまいました。北九州市小倉の角打ちの商店街は無事だろうか。大阪の十三は大丈夫だろうか。
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と書いてきて、きみは飲み屋街のあるマチを「町」といっているのかな? と、そんな声が聞こえてこないでもないのだが、それはそうかもしれない。いい飲み屋が複数軒あるマチは良い町なのです、という思い込みがあるのだろう。時代が昭和を離れて令和にくだっても消えない思いなのだな。中高年以後の男性の、と但し書きが必要かもしれないが(でも、飲み屋街も商店街も、「街」と書くね。そここそ町らしい空気の流れる場所なのにね)。
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とここまで書いてきて、気づくことは、今、「町」が人為的に構築されはじめているらしいということだ。パリのパッサージュが健在だからね。パリのパッサージュは街ではなく町です。味のあるしぶい商店「街」、いやいや商店の集まる「町筋」ですね。
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というわけで、最近の首都圏の都心の大規模商業ビル、大規模オフィスビルには、人為的に「町筋」を構築するのが流行しているようです。「食堂街」「食堂フロアー」「フードコート」に人為的に町筋を作るわけです。赤提灯や縄のれんが似合うフロアを作ろうとしているわけだ。成功しているかどうかは別の話ですが。そもそも最近はサンダル履きや下駄履きで町筋を往来するひとはいないものね。ツッカケという履物も最近はないですし、ツッカケは死語ですかね。ツッカケは、クロッカスだったかクロックスだったかに入れ替わったみたいです。さて、
あの町この町、日が暮れる、日が暮れる
おうちがだんだん遠くなる、遠くなる
いまきたこのみちかえりゃんせ、かえりゃんせ
これは野口雨情作詞、中山晋平作曲の童謡の名曲、その2番ですが、時代の遠さを歌っているのではなく距離の遠近をいっているのですが、何か時間の遠い、近いを感じさせますね。「町」という字には、昭和は遠くなりにけり、と夕陽が隠れているのではないでしょうか。
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文=千石英世
千石英世(せんごく・ひでよ)
米文学者・文芸評論家・立教大学名誉教授。1949 年生まれ。1983 年、「ファルスの複層—小島信夫論」で第26 回群像新人賞評論部門受賞。主な主著に『小島信夫—ファルスの複層』(小沢書店、1988 年)、『アイロンをかける青年 村上春樹とアメリカ』(彩流社 、1991年)、『異性文学論—愛があるのに』(ミネルヴァ書房、2004 年)、『小島信夫—暗示の文学、鼓舞する寓話』(彩流社、2006 年)、『9・11/夢見る国のナイトメア—戦争・アメリカ・翻訳』(彩流社、2008 年)、主な共編著に『名作は隠れている』(ミネルヴァ書房、2009 年)、『小島信夫批評集成』(全8巻)(水声社、2010-11 年)、『白鯨(シリーズ もっと知りたい世界の名作)』(ミネルヴァ書房、2014 年)、翻訳に『白鯨』(講談社、2000年)など多数。
▼近刊『地図と夢』(七月堂、 2021年)
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