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おすすめの書籍

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ウェッジから刊行された書籍の中から、ほんのひとときがおすすめする、旅や文化・歴史に関するものをご紹介していきます。
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唐招提寺の鑑真和上像に込められた弟子たちの想い──西山厚『語りだす奈良 1300年のたからもの』

唐招提寺の忍基は、講堂の梁が折れる夢を見た。 眼が覚めた忍基は、これは鑑真和上が亡くなる知らせに違いないと考えた。 いやだ。師がいない世界で生きるのは耐えがたい。鑑真和上は、ほかのどこにもいない、最高の師だった。 弟子たちは、師が生きておられるうちに、肖像を造ることにした。師の姿をこの世に留めるために。 まず、土で師の姿を造る。その上に麻布を漆で何枚も貼り重ねていく。一番上には、師の衣をいただいて着せた。それが終わると、背中に窓を開け、中の土を取り出す。 麻布の上に

命とは、不思議なものだ。──西山厚『語りだす奈良 1300年のたからもの』

今からおよそ2500年前の2月15日の夜、お釈迦さまはインドのクシナガラで亡くなった。見上げれば、天には満月が美しく輝いていた。 それから1500年ほどが過ぎて、平安時代の終わりに西行はこんな歌を詠んだ。  願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ 如月の望月とは2月15日の満月のこと。お釈迦さまが亡くなった日に死にたい。 西行は文治6年(1190)2月16日に亡くなった。この年の2月は、16日が満月だったそうで、この上ない最高の亡くなり方だった。 旧暦の2月

新1万円札の顔・渋沢栄一が、現代を生きる私たちに語りかけること

文=渋澤健 100年以上読み継がれる『論語と算盤』新しいお札の顔として注目を集める渋沢栄一。多くの事業を興し、「日本資本主義の父」とも呼ばれる彼の言葉を集めた講演録が『論語と算盤』だ。 『論語』は、古代中国の思想家である孔子の教えをまとめたもので、道徳などについて述べている。渋沢の場合、ただこの『論語』について説明しているのではなく、同時に算盤、つまり経済について論じているのだ。道徳と経済活動が一致すべき、それが渋沢の考えであった。 この『論語と算盤』は、1916(大正

お地蔵さまは地獄まで救いに来てくださる──西山厚『語りだす奈良 1300年のたからもの』

お地蔵さま(地蔵菩薩)はもっとも身近な仏さまだ。 奈良時代には虚空蔵菩薩とセットで造られていた。虚空蔵菩薩は虚空、つまり天を蔵にしており、地蔵菩薩は大地を蔵にしている。そして平安時代には「抜苦与楽」の仏として信仰されるようになる。苦を抜き、楽を与えてくれる仏さま。 やがて、地獄に堕ちた衆生でも救ってくれるという信仰が強くなっていく。 私たちは、生前にどのようなおこないをしたかにより、6つの世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)のどれかに生まれ変わるとされる。 前半の

「何かを封印している?」異形の三柱鳥居が意味するもの──京都・木嶋坐天照御魂神社をめぐる2つの「謎」

文=古川順弘(文筆家) 秦氏の里に鎮まる木嶋坐天照御魂神社 京都・太秦にある大酒神社から東に10分ほど歩くと、木嶋坐天照御魂神社の鳥居前に出る。現在の祭神は天之御中主神とほか4神(大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命・瓊瓊杵尊)。社名の「木嶋」は社地一帯の古地名で、そのため「木嶋社」を通称とする。現在は宅地に囲まれているが、かつては木嶋という名にふさわしく、周囲には巨樹が繁茂し、境内にある「元糺」と呼ばれる池の水量も非常に豊かだったという。境内社に養蚕神社があるため、「蚕の

なぜ、京都・賀茂神社は2つに分かれているのか?──上賀茂神社・下鴨神社の気になる関係性

文=古川順弘(文筆家) 糺の森に覆われた広大な境内 京都の賀茂神社は上賀茂神社と下鴨神社の2つから成るが、古い時代には上賀茂神社、すなわち賀茂別雷神社しか存在しなかった。言い換えれば、かつては上も下もなく、ひとつの賀茂神社しかなかった。ところが、のちにこの賀茂神社(賀茂別雷神社)から分立されるかたちで下鴨神社、すなわち賀茂御祖神社が誕生した──このような見方が、現在では通説的な地位を占めつつある。  ならば、いつ、なぜ分立されたのか。この問題を探る前に、まずは下鴨神社の

平安京以前の京都には何があったのか?

文=古川順弘(文筆家) 喧騒の京都を離れて辿る静謐の古社たち 日本の観光地として長らくナンバーワンの人気を誇ってきた京都だが、近年は観光客の過剰さが話題にのぼることが多い。とくに目を引くのは外国人観光客の多さだ。そして観光客の大幅な増加は、騒音・ゴミ・渋滞・マナー違反などのトラブルを引き起こし、いわゆるオーバーツーリズム(観光公害)という問題を生じさせている。  インバウンドも含め、京都を訪れる観光客はコロナ禍で一時は激減したものの、コロナへの警戒が薄れるにつれて着実に

“台湾の旅”がもっと楽しくなる4冊

4月3日の台湾地震で被害を受けられた方々に、心よりお見舞いを申し上げます。 このたび、台湾観光庁が「台湾安全宣言」という動画を公開し、台湾各地への観光を呼び掛けておりますので、きょうは台湾の旅が楽しくなる4冊をご紹介いたします。 ─── No.1 ───増補版 台北・歴史建築探訪日本が遺した建築遺産を歩く 1895~1945 片倉佳史(文・写真) 台湾在住作家である片倉佳史氏が、台北市内に残る日本統治時代の建築物を20年ほどかけて取材・撮影してきた渾身作で、豊富なカラ

いま、この時代に『古事記』を読むことの意味

 本居宣長は明和元年(1764)、35歳のときに『古事記』の注釈に着手し、35年間をついやして、寛政十年(1798)六月十三日に、『古事記伝』全44巻を完成させた。宣長69歳のときである。この前人未踏の精確な注釈書は、近世のみならず、現代においても高い評価を得ている。そこではじめに、宣長が『古事記』に興味を持ち、その注釈を決意したきっかけを簡単に述べておきたいと思う。  宝暦七年(1757)、京都遊学を終えた宣長は、松坂(三重県松阪市)に帰り、魚町で町医者を開業していた。そ

傘がなくても自分の足で走る人を探して|山脇りこ『旅する台湾・屏東』より

「無傘的囡仔 要比別人跑卡緊」。直訳すれば、「傘を持っていない子供は、誰よりも速く走るしかない」。 2022年まで屏東県長だった潘孟安氏が自身の8年の任期を振り返るムービー(YouTube)を見ていて、雨の中を走る少年の映像にのせて語られるこの言葉が、とても気になった。 屏東県の南、東港出身の友人に聞いてみると、彼女は「これは屏東のことだと思う。台北から一番遠い県で、貧しいし、資源もない。注目もされず、国の支援も後回しにされがち。となると、自分たちで自分たちの価値を見出す

もっとも“熱い”台湾の地へ|一青妙『旅する台湾・屏東』より

さあ、屏東へ台湾の最南端にある屏東は、「台湾尾」の通称で呼ばれている。 なるほど、サツマイモの形をしている台湾の、下端のキュッとなったところで、尻尾に見えなくもない。 歴史を遡ると、あたり一帯は平埔族阿猴社の人々が暮らした場所で、AkauwまたはAck−auwと発音されていた。漢字表記として、最初は音が近い「阿猴」の文字が当てられていたが、1903年に「阿緱」となった。1920年になると、各地で語呂が悪いものや何と呼んでよいか判りにくい地名を適当な名称に変更する動きがあり

『自省録』は私たちの人生の錨となってくれる一冊|齋藤孝『図解 自省録』より

いまの時代は、毎日の生活を送るにも、ストレスが増えています。気候変動の影響も大きくなり、各地で戦争が起き、また生成AIも出てくるなど、世の中もどんどん変化していく。「どこか生きにくい、自分の心が保ちにくい」と感じている方も多いのではと思います。 そうしたとき、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(以下マルクスと略)の『自省録』は、ちょうど船の「錨」にあたるものとなります。激しい風が吹いたり波が荒れたりしても、錨を下していれば、船は漂わずに一定の位置に停泊できます。現代の私た

『君たちはどの主義で生きるか ~バカバカしい例え話でめぐる世の中の主義・思想』の刊行に寄せて|さくら剛(作家)

最近のゲームって……、超ムズくないですか? はっきり言って、バイオハザードとかファイナルファンタジーとかウマ娘とか、新作を自力だけでクリアするのはほぼ無理です。 マニアの方は違うのでしょうが、一般ゲーマーは情報なしではあっさり取り残される難易度。攻略本を見なければどんな分岐があるかもわからないし、ましてベストエンディングなんて到底辿り着けません。 実は、人生も最近、そうなっているんです。人生も、攻略本がないとすぐに道を見失う時代なんですよ。今って。 もはや令和時代の人

2023年は親鸞聖人御誕生850年!劇的な生涯と思想を知る2選

2023年は親鸞聖人の御誕生850年という節目の年であり、2024年は浄土真宗立教開宗800年の節目の年でもあります。ここでは親鸞聖人の事績や思想を知るうえで、お薦めの書籍を2点ご紹介します。 図解 歎異抄 たよる まかせる おもいきる 齋藤 孝 著 「歎異抄」は、鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書として知られ、作者は親鸞に師事した唯円とされています。現代でも司馬遼太郎や吉本隆明、西田幾多郎、五木寛之などの知識人・作家にも多大な影響を与えたことで知られています。 鎌倉仏