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仏教文化ってなに?②:日本の“仏教”

日本の仏教、お葬式しか思い浮かばないですよね。
そんな日本人が驚く仏教文化が海外で成長して
これから日本の仏教文化はどうなっていくと思いますか?

※仏教のアレに投稿された記事です

前回はこちら!

仏教文化ってなに?①:海外から見る「仏教最強決定戦」


アメリカのマインドフルネス、日本の葬式

道宣
仏教を文化面から見る、第二回目です。

遊心
はい。
前回はアメリカの文化について

話題のマインドフルネスを扱いました。

その国の、生活に最も適した形で

仏教は文化として取り入れられる。

というお話です。

道宣
海外では

“自分を成長させる”為のトレーニングとして

一般的に広まって

仏教の“修行”が文化となった形ですね。

うらやましい…。

しかし、それをいうのであれば、やっぱり気になるのが

日本の仏教文化は誰のためにできた文化なのか?

というところだと思います。

遊心
はい。気になります。
特に日本仏教の文化として一番思い浮かぶ

葬式

などが、果たしてどのように人々に貢献しているのか。

という部分を考えてみたいですね。

道宣
お寺でお葬式をするのが一般的になったのは
江戸時代ごろだと言われています。

遊心
市民が皆、所属する近所の寺を持ってからですね。
戸籍替わりにお寺で個人情報を管理してますし、

自治体のような、行政の代わりがお寺でした。

道宣
はい。
そのような政治上の役割があったことも

大きな理由ですが、とりあえずとっても歴史がながい

つまり、すごく昔にはそれなりの理由があったことを

押さえておいていただければいいとおもいます。

現代の「仏教文化」として扱うのであれば

“なぜ、お坊さんがお葬式をやらなければならないのか”

を考えるべきでしょう。

仏教のお坊さんにわざわざ頼む理由がなければ、

べつにやりたくない人はやらなくていいわけです。

昔は偉い人だった。お坊さん。

遊心
そうですね。
現代ではそのあたりをしっかりと考える人が増えてきましたが

一昔前は人が死んだらお坊さん呼ぶのが“あたりまえ”でした。

道宣
歴史上の理由はひとまずおいて、
なんでお坊さんなんでしょうね?

お葬式でやっている内容からしたら儒教や神道のほうが

きっと相性がよさそうなものですが。

遊心
仏教のお葬式ってほとんどが、

死んだ後に悟りを得るための儀式

ですからね。

例えば有名な極楽浄土って

“すっごく楽な場所”

というよりも

“修行がめちゃめちゃはかどる!場所”

のほうが近いですからね。(笑)

成仏待ったなし!絶対さとれるよ!の場所です。

道宣
つまりそれだけ、“悟りをひらいて仏になる”ことは
この世の苦しみから逃れる理想的イメージがあったわけです。

もちろんそれを先導するお坊さんも人の模範となるような

立派な方々がいたでしょうから、

お葬式という文化的役割を仏教が担うのも、

理解できなくはないです。

遊心
お坊さんがお葬式をする、ということについては
私もなんとなく納得をもっています。

お坊さんはやはり“生と死”のエキスパート

であるわけですから、死という直視しづらい出来事を

適切に取り扱う為にはお坊さんが適任だ

と言ってもいいと思います。

道宣
仏教側から言えば、
やはりそのような民衆の期待にこたえながら

仏教というコンテンツ自体を師匠から弟子へ

時には、在家の修行者へと伝えてきたわけですね。

お仕事ください。え?文化ですから。

遊心
はい。
何度か言ってきたことですが、

文化として社会的役割を持たなければ、

単純に仏教自体が存続できなくなるため、

“文化として国に受け入れられること”は非常に重要です。

道宣
そのとおりですね。
ということは、つまり、

現在の日本において最もよく聞く仏教批判

“葬式仏教”

を思い出すと……。

もはや文化としてのお葬式は社会的役割として

求められなくなってきている傾向がある。

ということになりますね……。

遊心
それは仕方がありませんね。

以前のように何代も続く家は少なくなりましたし

世間体を気にする必要もない都会の核家族にとって、

葬儀はただ本人の死生観にのみ関わる行事ですから

科学のほうが説得力をもつ現代では

仏教的物語はもはや通用しづらいです。

道宣
その仏教的物語はもともと
民衆を救うべくして作られた
と言えますが…

ちょっともう古すぎるかもね……。

遊心
科学的検証も効かない世界の話は
現代の人々にはちょっと受け入れがたいかもしれません。

仏教はやっぱり生きてる人のためのもの

道宣
“死生観の提供と取り扱い”が
今までの日本仏教の文化的役割だったとすると

それと同じくらいの質を持つコンテンツが

説得力を持つ形で新たに生み出されるはずですが…

やっぱり……

マインドフルネスですかね?

遊心
でしょうね。

もうすでにアメリカであれだけ結果を出して

庶民に広まっている上に

科学的な研究もそれを後押ししているとなれば

まず間違いなく逆輸入されると思います。

道宣
そうですよね。

あのマインドフルネスって一見

落ちついて日々を過ごす

とか

集中力を上げる

とかのトレーニングだけのように見えますが

やっていることは

ほとんどお坊さんの修行と変わりません。

その途上においては、確かに今まで通りの

“死生観”の取り扱いも学ぶことになるでしょうし。

遊心
そうですね。
人間の理想的状態である“仏”は生きているうちには

実現不可能だったから死んでから“仏”になってもらう

という方法を選んだ日本文化であったのに対して、

アメリカではそもそも死んだ人が“仏”という文脈がなく

どちらかと言えば“スゴイ人間”のイメージがあるので

「人間の理想的状態!?

ワーォ!頑張って修行するよ!」

って言っているのが今のアメリカ仏教文化ですからね。(笑)

道宣
流行の仕方を見ていると明らかに
仏教修行のタブーであった“ご利益主義”や

アメリカ特有の“効率優先主義”が混じっているけど

結果として世界のどこよりも大きな規模で

本来的な修行の実践を行っているのが驚きです。

遊心
では、来るべきマインドフルネス逆輸入において
日本ではどのような形の新たな文化となるかについて

次回予想をお話ししましょう。

まとめ
・お葬式は別に仏教じゃなくてもよかったけど幕府の都合上いろいろあった。
・販促しなくてもお客さんくるからちょっと調子乗ったのかな?
・日本人、アメリカで流行ったら絶対マネする伝説

スキされると鼻いきあらくして記事書きます。