元首相銃撃事件報道の違和感
元首相が銃撃される衝撃
首相を務めた人物が銃撃され死亡するというショッキングな事件が発生した。安倍晋三元首相が奈良市の大和西大寺駅前で応援演説中に、銃で撃たれ倒れた。
一般人が銃を製造し襲撃に至った事実も衝撃を受けたが、SPや奈良県警の警備のお粗末さ、今年4月に道路が改修され演説場所が変更されたことなど不幸が重なった点は否めない。
不手際があったから結果は最悪なものになった
事件発生直後から話題になったのは、警備体制の不備だ。なぜ事前に防げなかったのか?という意見や日本はいつも事件が起きてから改善するのがダメだといった意見も散見される。
しかし考えてみれば分かるが、不手際があったから結果は最悪なものになったし不幸も重なった。こうした事件はそういうものだ。結果を最小限に食い止めることはできただろうが、そうでないからこの結果になっているのだ。
今この瞬間も警備をしてくれているおかげで発生していない事件・事故が無数にあることも忘れてはならない。
手法や警備の詳細情報の報道は必要か
マスコミは正しい報道をしているかと言えば実はそうではない。センセーショナルなインパクトが大きいニュースを求め大げさに報道するのがマスコミだ。
今回のような事件では発生した事件を大きく取り扱い報道することに異論はない。しかし事件後一週間が経過した今も、現場の状況や犯行に使われた銃の詳細情報などを繰り返し報道している。
このような報道は必要なのだろうか?
報道としては必要ないはずだ。本来は事件のきっかけとなった母親の状況と統一教会と安倍晋三氏、しいては自民党との関係まで突っ込み取材し報道すべきだ。
マスコミもいち企業であるからここを突っつくと後で痛い目に遭うといった守りや仮を作るために忖度を図っていることが見え見えだ。
多くの国民は気づき始めている
SNSの普及によりマスコミの体質に多くの国民は気づき始めている。実際に新聞の購読者数やテレビの視聴率に大きく表れ始めている。
マスコミは正念場だ。ニュース番組がワイドショー化しているし懲りずに安倍晋三氏の自宅に押し掛けたり意味が分からないことを繰り返している。
問題点をきちんと取材し私的するジャーナリズムが求められている。これができないマスコミに存在意義はないしそう遠くない将来、淘汰されるだろう。