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336 人生の目的とか目標とか

あればあったで、なけりゃないで

 たいがい、「そりゃ、あった方がいいよ」と言われる。相談するまでもない。「人生、目的とか目標、あった方がいいですかね」なんて。
 私だって聞かれたら「あった方がいい」と答えてしまう。無責任に。
 たとえば、ある企業の目標として「お客様満足度」なんてものを導入したとする。だけど、それ、達成できますか? ある程度はいくと思うけど、どこかで止まる。あるいは後退する。目標ってそんな感じ。
 目的はまた少し違う。だって目的だもの。最終到達地点みたいなものだから、「日本百名山をすべて登る」なんてことを目標として持っている人にとってもその目的はなにか。「健康のため」「有名になりたい」「SNSで発信したい」といった目的を漠然と持っていたとしても、「楽しければいいや」みたいなものに流されていくだろうし、その結果、やり出してすぐに「あんまり楽しくないな」と感じたら目標をあっさり変えてしまうかもしれない。
 目的を漠然と「いまよりちょっと楽しい人生にしたい」とか「ちょっとリッチになりたい」といった、夜寝る前に見たい夢を想像するのと同じようなものにしておくと、案外、目的に振り回されることはないかもしれない。
 だけど、それでは目的なしで生きているのとほぼ同じだ。ちょっと目的を意識しているだけ、ってことになる。目標も目的も、コロコロ変化してしまうのは確かによくないかもしれないけれど、一貫性に拘って絶対変えない人生ってのもなんだか窮屈な気がする。

マストで持っていた方がいいです!

 あった方がいいどころか、マストアイテムじゃないのか、と問われたときにはどう答えよう。目をキラキラさせて「マストで持っていた方がいいです!」と答えたら、相手はどう感じるだろう。「ね、持ちましょうよ、人生の目標。明確にしましょうよ、人生の目的。それなしじゃ、なんのために生まれてきたかわからないですよ」なんて熱く語られたら、私としては「それは私の人生じゃない」とお断りしてしまうだろう。そもそもへそ曲がりだ。推奨されればされるほど拒絶したくなってしまう。
「おまえはどうなんだ」と問われたら「どうしてそんなことを、あなたに話さなければならないんですか」とこれもまた丁寧に拒絶するだろう。
 人生の目的はこれだ、というものを掴んだとして、それを人に言う必要はない。いま自分はどんな目標のために日々がんばっているのかも同様だ。
「いや、それじゃ、応援しにくいですよ」と言われるに違いない。「スポーツの選手だってみんな目標、はっきりしているじゃないですか。だから応援するわけですよね」
 私は選手じゃないし。選手だったこともないし。本当にみんなそうなのか、確かめようがないことだし。たとえノートに書いたり壁に貼ったとしても、それが本心かどうかなんてわかりっこないし。
 その点で人に応援されるタイプの職業の人たちは大変だと思う。これは企業も同じだろう。応援してもらうからには目的を明確にして目標を掲げておかないと賛同されにくいからだ。「武道館行くぞ!」でもいいし「甲子園行くぞ!」でもいい。なにか壁に書いて貼っておくしかない。
 そういう意味では、確かに目的や目標を明確にしておくことにはひとつの利点がありそうだ。
 だけど、それを自分が信じられなくなったとき、どうする? めちゃ応援されているのに、「それ、もうおれの目的じゃないし」となったら?
 とまあ、ただ頭の中であれこれ考えたってね。たぶん、「とりあえず」があればいいような気もする。とりあえずの目的。とりあえずの目標。
 もちろん、表向きのものもあればあった方がいいけど、そのとき、妙な責任が発生しちゃうから注意したい。
 私は無責任な人間なので、こんな文章になってしまった。
 一方、いま、大谷翔平選手はサヨナラ満塁ホームランを打って40-40を達成した。やっぱり目的や目標はマストで持った方がいい。

強い光と影を表現したい。まだ途中。


 

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