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264 ごめんなさい、仕事を選り好みしていました

プロなら断るな説

 フリーになったころの話で、さるえらいお方が「来た仕事はすべて請けろ、選り好みするな」とおっしゃった。また「プロなら仕事は断るな」とおっしゃる先輩もいた。
 確かにね。一理ある。来る仕事は、「あなたになら出来そう」とか「あなたに任せたい」と思われたと言うことなんだから、それをやり遂げることで仕事の幅も人脈の幅も拡がるじゃないか。断ったら、そこで終わってしまうからね。
 フリーランスは、仕事があっての人間関係も多い。自分がもし仕事を出す側だとして、仕事を一緒にしない人と飲みに行く暇はほとんどないだろう。よっぽどのことがない限り、仕事に関係なくお付き合いする範囲は限定されてしまう。もちろん、希に、仕事抜きで長くお付き合いすることもある。実際、いままで30年近くお付き合いしている人の中には、「そういえば一度も仕事、やってないや」という人もいるものの、レアケースだろう。
 とはいえ、私は仕事を選り好みしてきた。先輩方、ごめんなさい。嫌なものは嫌なんで、しょうがないんですよ。
 仕事を選ぶきっかけはなんだったか思い出せない。ただ極めて印象的なシーンがいまも浮かぶ。ひとつはかなり大手だった編プロで大活躍していたAさん。その後独立し、私はそこで出会った。年齢は私より10歳ぐらい下。代々木あたりのマンションの一室を自分の会社として、そこに数人の仲間とほぼ24時間、仕事をしていた。窓を開けてタバコを吹かしながら「そうそう都合よく、おもしろい仕事ばかりするわけにはいかないですよね」と私に言った。どうも、私はおもしろい仕事ばかり引き受けているように見られたのだ。隣の芝生だろう。とにかく仕事の厳しさをそのときの会話で学んで「やっぱり断らない方がいいのか」と思った。でも、性分だから、どうしたって「できないものはできないよー」となってしまう。
 その意味で、一生、プロにならなくてもいい、アマチュアでもいいとさえ思った。

せっかくだから選ばせて欲しい

 そのAさんは、私と仕事をしなくなって1年ほどで亡くなった。共通の人から聞いた。「詳しいことは言えないんですけどね」と言葉を濁すので、死因は不明だ。彼のつくった会社は解散していた。
 もうひとり、Bさん。いろいろ縁があって最初は私が仕事を出す側。その後、私が仕事をいただく側になった。あるとき、彼は私に仕事を出さなくなった。理由はわからなかった。数年後、バッタリBさんに出会う。とてもやつれていてびっくりした。恩を感じていた私はお礼を改めて言ったところ「なかなかうまく行かなくてね」と、Bさんは仕事を変えたと告げた。新しい仕事の内容は教えてくれなかった。「また、いずれ」と彼は言ったが、結局、それきりである。
 その後、共通の知り合いから聞いた話では、なにか大変な仕事に手を出して借金が膨らみ、いまは「なんとかさんに頼み込んでお世話になっているらしいよ」と言うのである。なんとかさんは私は知らないが、ある業界の重鎮でBさんは仕事を通じて懇意にしていたらしい。「50代でゼロからのスタートだから大変だよね」。
 やっぱり、そうだなあ、仕事は選んでいいよね、と私は思う。人生は短い。ましてバリバリやれる期間は短い。来た仕事を片っ端から請けていたらきっと自分を見失う。体を壊すかもしれない。心に変調を来すかもしれない。いや、普通に生きていても身心の健康を保つことは難しいのだ。フリーになったのだから、仕事ぐらい選ばせて欲しい。
 もっとも、それもまた、けっこう怖いことでもあった。「これを断ってしまって、次の仕事が来なかったらどうしよう」と。縁が切れたら、そこから二度とお誘いはないかもしれないのだ。
「その時はその時だ」と割り切れるだろうか?
 必死にやっていても、その頃の自分は借金が増える一方で減らなかった。実家に頼んで借りたこともあった。日々の生活費にも困って、リボ払いに手を出して長く苦しむことになった。リボだけは絶対やってはいけない。
 ところが、あるとき、以前に一緒に仕事をした人から「ぜんぜん違う仕事だけどやる?」と久しぶりに声がかかり、そこから数年かけて借り入れを減らしてなんとか自分の経済を建て直すことができた。最終的にはとても大きな仕事になった。
 これは、単なる幸運に過ぎない。もしあの幸運がなかったら、どうしていたんだろう、と思うこともある。そのたびにAさん、Bさんの顔がちらつく。
 つまり自分なりにしてきた選択には間違いも多かった。その意味で選ばない方がマシだったかもしれない。それとも、自分のやり方でなんとか生きてこられたのだから、それもよしと思った方がいいだろうか?
 いま選択している道の先にあるのは、なんだろう。

細かいところがよくわからない。


 

 

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