見出し画像

200 通過点

記録や数字

 ドジャース大谷は、あと一本ホームランを打てば、歴代日本人メジャーリーガーのホームラン数でトップの松井秀喜に並ぶという。どう思うか、と記者に聞かれても、表情からするとあまりピンときていなかったように見えた。大谷の目指しているところは、松井秀喜ではないからだ。
 記録とか数字は大事だと言う人もいる。そんなものはどうでもいい、という人もいる。ついこの間は、大相撲で尊富士が初土俵から10場所目での史上最速優勝、新入幕として110年ぶりの歴史的優勝だと騒がれた。これとても、尊富士は入幕時にこの記録を破ることを誓ったわけではないだろう。もちろん、優勝することは目標だったはずだが。
 このnoteは、今回で200回となった。
 だからなに?
 ま、そう言わずとも。
 確かに、これを始めたとき、回数のことはまったく気にしていなかった。いや、そうではない。毎回、タイトルに通し番号をつけることにした。だから、回数に意識はいっていたのである。
 ただ、「○回までやろう」とか「○回を超えたらどうしよう」といった発想はまったくなかった。
 そして、なにかあったときには、どうしたって記録であるとか数字であるとかが、ものを言うときがあるのも事実である。
 だったら1000回を目標にしたっていいのだが、さすがにそんな先の数字をいま明確に意識できるわけがないから、ただのハッタリになってしまう。
 それでも、考えたことがある。
 ひとつは、「200回分」は、1回1500文字として30万字なので、まとめてKDP(Kindle)で本にしよう、ということだ。
 いやいや、それはどうなのかな、と思ったりもするけれど、あくまで今日思いついたことだから、案のひとつというだけのこと。これからこの原稿をまとめて校正して電子書籍化するなんて、正直、かなり面倒臭い。
 とはいえ、原稿を電子書籍化する工程そのものは、私の編集的な仕事としては普通にやってきたことなので、すべてひとりでやれてしまう。できるものなら、やったらいい、と20年ぐらい前の自分なら思ったものだ。いまの自分は「できるからって、やらなくてもいい」になったので、迷いは生じている。

絵本をつくる話

 このnoteにはある時から、自分で描いた絵がつくようになった。これは自分史上で希有な、そしてとんでもなく大きな変化である。仕事として文を書くことは長くやってきたものの、そこに入れる絵は、すべてプロにお願いする(当たり前である)。編集者の中には器用な人がいて、簡単なカットや図表、地図などを自分で作ってしまう人もいるけれど、私は不器用なのでタッチしなかった。
 それが、絵を描くぞ、と決めたので描き始めているけれど、将来、絵本をつくりたいと思っている。そこまではまあ、誰もが思う夢である。のど自慢に出たいとか、東京マラソンを走りたいとか、あと2キロ痩せたいとか、そういうのと同じ話である。やってやれなくはないかもしれないが、やらない(やれない)可能性の高さのせいで、自分でも信じ切れていない。
 そもそも、私はそれほど絵本好きではない。世の中には絵本にうるさい人が大勢いて、そういう人が評価する世界であるから、絵本そのものを研究した方がいいのだ。それもいずれやりたいけれど、いまはそこに踏み込めていない。
 とはいえ、やれない理由はゼロなのである。絵本といっても大手出版社から出すわけではなく、電子書籍で出すなら、自分でやれてしまう(さっきの理屈と同じだ)。
 そしてここでも「できるからって、やらなくてもいい」の壁(自分で作った壁だが)がある。この壁は、いずれ崩れるのか、それとも消えるのか、自分でもわからない。
 ただひとつ、絵本をつくるなら、「もっと絵が上手にならないとな!」とは自分だってわかっていることなので、要するに絵が自分なりに気に入るレベルになるかどうかにかかっているとは言えそうだ。
 ともかく、これも通過点。200回を超えてどこまで行くかは自分でもわからない。明日、201回を書けない可能性もゼロではないのだから、そうしたらここが終点だ。
 さあ、どうなるか。

華ちゃん


 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?