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251 長所や短所はどう?

面接対策として固定化されたのか?

 どうやら、誰もが自分の長所と短所をすぐに言えるらしい。そういえば遙か昔の自分も、そういう時があった。10代20代の段階で「私の長所は」とか「私の短所は」と他人にプレゼンできるなんて、考えてみればとんでもないことだと思う。
 どうしてこんなことになっているのか。恐らく、「面接」ってものがあるからではないか。
 正直、自分の長所は、他人から見れば短所かもしれない。自分の短所は、他人から見れば長所かもしれない。だから、その人の長所・短所は自分ではわからない部分が常に存在してしまう。月の裏側みたいなものだ。
 もちろん、自分はこう思う、と主張してみることも大切かもしれない。だけど、なにかの面接で、長所とか短所なんて必要なのだろうか?
 面接であんまり話すこともないから、仕方なく取り入れられているとしたら、それにしては少々、重たい気もする。
 社会に出たら、自分の長所や短所なんて、1秒も考えない。そして、誰かの長所や短所を考えることもない。「あの人はあの短所があるから嫌いなんだ」とか「あの人のあの長所にグッとくるね」なんてことはないのである。
 世界的に見ても、「あなたの長所は?」なんて質問は、シュールすぎるのではないかと思う。「考えたこともありません!」と答えるのが正解かもしれない。「あなたの短所は?」と聞かれたら「教えるはずないですよね」と拒絶するのが正解だろう。それでもしつこく聞いてきたらハラスメントだ。
 もっとも、長所や短所をプレゼンするのが得意な人もいるかもしれないので、そういう人の長所を否定するつもりはない。自分の長所を言えるってのは長所だよね。いや短所かな。どっちでもいいけど。

たわいない無害な質問か?

 メシの早食いは長所か。それとも短所か。どこでも眠れるのは長所か短所か。せっかちなのは長所か短所か。人の話をとことん聞くのは長所か短所か。そういうのは、時と場合によって大きく変わることではないのか?
「私の長所は、自分の短所をはっきり言えることです」とか「私の短所は、長所を思いつけないことです」といったトリッキーな回答はありか?
 もっとも、面接は事前に提出した資料と比較してなにをどんな風にしゃべるのか、その言葉や態度を見るわけだから、質問はなんでもいい。その点で「君の長所は?」なんて実に無害そうな質問だから生き延びているのかもしれない。
 だけど、本当に無害なものか、たわいないことなのか。
「私の長所はポジティブなところで、短所はネガティブなところです」と答えておくのもいいような気がする。「どっちなんだよ」と言われても、「そりゃ、時と場合によるじゃないですか」と答えるしかない。「ポジティブなときは、ネガティブな面を考えることはありませんし、ネガティブなときはポジティブなことを考えることはできないです」。実にたわいない。当たり前のことを言っているだけだ。
「じゃ、君は自分をどういう人間だと思っているんだ」と言われても「ええっと、そういうの自分で考えたことがないんで」と頭を掻く。「家族や友人から君はどう思われているの?」と聞かれても「それは家族や友人に聞いてください。ぼくの口からはなんとも」と答えるしかない。
「だって、ぼくは親からこう言われている、友人にこう言われたと、ここで言ったとしてもそれが本当か嘘かわからないですよね。自分に都合の良いことを捏造しているかもしれない。悪い点をあげつらうとしたら、謙遜すぎる人だと思われたいのかもしれないじゃないですか」
「君は、どうもこう、むしょうに腹の立つ、屁理屈なやつなんだね」
「いやいや、それはそちらから質問されたことに、真剣に答えようとしているからですよ。ぼくは何事にも真剣に取り組みますから」
 はて。

右側の店はまだ途中。



 
 

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