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196 先輩、後輩、同輩

先輩運のない人

 私は、先輩運のない人である。
 どういうわけか、いま先輩を思い出していても、これといったエピソードのある先輩がいないのだ。一方、人生の師のような人は3人ほど浮かぶ。この人たちをただ「先輩」で片付けるわけにはいかないので、ある意味、神棚に飾っておくと、あとは、スコーンと抜けてしまう。
 先日、先輩かもしれないと思った人に詳しい年齢を聞いたところ、後輩であることがわかった。つまり、先輩運はないが、後輩運はある、ということなのかもしれない。後輩によく助けられてここまで生きてきた。
 先輩の中で、もっとも酷い人は、すぐに浮かぶ。
 記者になりたての時の上司で、当時その人は会社とケンカをしている最中だった。そういう人に新人を預ける会社も会社だが、たまたま人員の足りていないセクションだったから、ある意味で「新人をつければ、きっと先輩として立ち直るだろう」と思ったのかもしれない。
 ところが、「あ、これとこれ、明日までやっといてね。やり方? 誰かに聞いてやっておいて」と、新人が配属されたために、ほとんど会社に出て来なくなった。仕事はしているのである。社屋にいないのである。二ヵ所の喫茶店がメインの場所ながら、そこにもいないときは探しようがなく、途方に暮れるばかりである。
「えっ、いないの? 可哀想だな」と同情した人たちが、私に仕事を教えてくれたのである。そして翌日、出来上がっていると「なんだ、出来るじゃない。じゃ、その調子で」と指導もなにもなく、またどこかへ行ってしまう。
 最終的にはその人は会社を辞めたのだが、その理由は奥さんの仕事が成功して忙しくなったからだった。どのぐらいの成功かといえば、郊外に一軒家を新築するぐらいの成功である。その人は、きっと何不自由なく人生をまっとうするのであろう。

後輩の世話になる人

 終電を逃してしまったとき、後輩のアパートに泊めてもらったことが数回ある。これでは、私も先輩にならっていい加減な人になっていくな、と自覚はしていたけれど、とにかく私の後輩たちはみんなすごく優秀なので、それに甘えてしまうのである。
 ある出版社から声をかけてもらったのだが、どうして私なんかに声をかけたのかと思ったら、すでに辞めて転職した後輩のおかげだった。彼が転職先の上司に私のことを話したらしく(なにをどう言ったのかは不明)、その結果、「ぜひ、一緒にやりましょう」と言ってくれたのである。ちょうど、会社で行き詰まっていたし、会社の収益が伸びなくなり先行きが不安になっていたので、その話に乗った。
 新しい職場でも、すぐ後輩が出来て、それがみな優秀である。気付けば、あの先輩のようにあまり会社にいない人間になっていき、最後にはとうとう辞めたのである。「いま君に抜けられるとわが社は大変だ」と言った言葉は誰からもかからなかった。むしろ「とうとうその日が来たか」と思われたのである。「ま、がんばって、君ならできる」といった感じ。
 そういえば、仕事をどんどん任せるタイプの人間だった。誰もやらない仕事を見つけて取り込みながら、ルーティンになった仕事をどんどん人に与えてしまうので、ふと気付くと自分がやるべき仕事がない。つまり、いなくてもぜんぜん問題ない人間になっていたのである。
 アニメ「バーテンダー 神のグラス」を見始めたのだが、これはとてつもなく懐かしい。仲の良い後輩とよくバーへ行ったものだ。オーセンティックなバーで、レジェンドのようなバーテンダーから、さまざまな酒の知識を教えてもらった。自分では同輩のような感じだったけれど、よく考えれば彼は後輩だった。
 ちゃんと長く付き合っている同輩もいないことに、いま気付いた。私としては同輩のつもりで付き合って、フリーランスになったあとも親交のある人たちがいるけれど、よくよく見れば全員後輩ではないか。
 いまこのnoteを書いていて、そのことに気付くぐらいだから、そもそも先輩、後輩、同輩といったことをあまりにも意識しないで生きてきたのだろう。呑気なものである。

茶色のプードル。未完成。


 

 
 

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