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うーたんは卒業するけど、お前はいつ卒業するのか

うーたんが卒業する。うーたんに「卒業」という概念があったとは甚だ驚きである。

学校が嫌いだった私にとって、教育テレビは心の友達だった。親は共働きで、それなりに忙しく、家にいるのは私とテレビだけだった。

寂しかった。珍棒を握る快楽も知らず、恋愛も知らず、勉強の楽しさも、貧乏旅行の楽しさも(そんな金などあるはずがない)、そのころは面白フラッシュの存在も知らなかった。

私に残されていた娯楽は教育テレビだけだった。帰宅した時はゆうがたクインテットや、ぜんまいざむらいや、忍たま乱太郎が放送されていた記憶がある。

手話ニュースなんざ放送されていた時は文字通り発狂した。

学校を休んだ時は特に楽しかった。朝、母親が申し訳なさそうに学校の先生に電話を入れる。出勤する。家に残ったのはそれなりに元気な少年、一人。
朝から教育テレビをつける。うーたんやわんわんを見る。幸せ。

学校に行かなくていいという安心感。教育テレビをつけ、時々部屋に戻り布団でぬくぬくする。これが2日くらい続く。あんなに素晴らしいことがあるだろうか。

高校の頃の世界史の授業で、アヘン窟でChillしている支那人の画像を見た頃がある。俺がいた。小学生の頃の私がいた。

ぬくぬくし、快楽に浸る、目の死んだ私がいた。

そんな私も中学生になった。勉強の楽しさと、友人とくだらない話をする楽しさを覚えた。

高校生になり、大学生になった。しかし、どこかでアヘンを吸っていた。そして、吸っている。それはゲームであり、恋愛であり、Twitterであった。


アヘンを吸い過ぎた支那の人々は、その後実質的な植民地になった。アヘンをやめないといつかはそうなってしまうのではないか。だれかの植民地になってしまうのではないか。

植民地なだけマシかもしれない。仮にも資源を生み出している。

だが私はどうだ。寝て、起きて、放精し、食事をし、また寝る。

ゴミだよゴミ。ダイナマイトで爆破して、ブルドーザーでかたしたほうがいい。

道化であるうーたんは、私に最後のチャンスを与えているのではないだろうか。アヘンをやめ、現実に戻る最後のチャンスを与えてくれているのではないだろうか。

過去に浸らず、アヘンに浸らず、自分を信じて努力を続けていこうではないか。

それではみなさん、良い1日を。


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