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ハロウィンの街を歩いて、やはり「類は友を呼ぶ」は真理だと確信する

2021年10月31日、時の首相・岸田文雄が電撃戦を仕掛けたその日、私は繁華街を出歩いていた。

というのもその日はハロウィンで、人間のふりをした皆さんが新たに何かのふりをするという奇妙な風習が、このモンゴロイド国家・日本で(!!)起こるからである。

そんな日にコスプレもせず、街に出歩き、女学生やチンピラがわんさかいるパルコ地下一階のスタンババでコーヒーを飲んでスマホをぽちぽちしているのが他でもない、私である。

街を出歩いてみて思ったのだが、やはり類は友を呼ぶのである。私がいるスタンババから歩いて5分くらいのところに、アーケードの商店街がある。繁華街である。そこを歩くと若者がわんさかいて、進学校の運動会さながらの仮装パーティーを拝むことができる。

そこでは誰かが誰かに声をかける、知人同士の挨拶を頻繁に見かける。中学校の打ち上げに絶対誘われて成人式もキチンと出席しそうな人々の、「よっ!」という明るい声が随所で聞こえる。中には見つけると肩を叩いたり、急に抱きついたりする人々もある。

どうやら彼らは知り合いのようである。普段街を出歩くと、このような光景は滅多に見ない。

やはり似たような人々が外を出歩き、仮装をしている。類は友を呼ぶのだ。

ナイキの三本線は、近くのナイキの三本線を引き寄せるのだ。昨日買ったような真っ白なスニーカーと、関東では真冬の気温なのに何故かくるぶし丈のジャージを着た人々もついでに呼び寄せているらしい。

私が今スマホをぽちぽちしているスタンババでもこれは同じである。

なんという偶然、ここスタンババにはローズゴールドのMacBook Air (2020) を持った人が二人いて、二人揃って純正の充電器を使っている。

なんだこれは、たまげたなあ。

二人とも大層なコーディングや執筆をおこなっていると思いきや、そんなことはなく、どうやらそれぞれネットサーフィンとTwitterに精を出しているようである。

私の同類である。多分彼らは「お前とは違うんだ」「俺は格が高いんだ」と心のどこかで思っているはずだ。だいたいApple信者はそうである。

人がたくさんいると自身の存在感が薄れる気がする。自分と同じような人がたくさんいるからだ。しかし、それがなんだか心地よい。彼らの中にも微々たる差はあって、そうした差の積み重ねが個々人を個々人たらしめている。

なんだが読みにくい文章を書いてしまったが、彼らも同じように読みにくい文章を書くのだろうか。ナイキの三本線を履いた人々はどんな文を書くのか。

夜風が痛くなりつつある札幌でも、10月は終わろうとしている。

それでは皆さん、良い1日を。



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