見出し画像

幼稚園で落ちこぼれかけた私と、幼稚園をつつがなく終えた息子のその後


幼稚園のお遊戯会とお稽古事、小学校の成績表について

桜が咲く頃、ふと思い出す情景がある。

私が通っていた幼稚園は仏教系の幼稚園で、4月に花祭り・灌仏会(かんぶつえ)があった。それにあわせて園児はパレードをするイベントが行われた。そのイベントでは、太鼓、旗、バトンなどの役があり、みんなで可愛いお揃いの制服を着て、市内の大通りをねり歩く。

親たちは我が子の写真を撮ったり、応援したりと、幼稚園での一大行事だった。晴れた暖かな日で、遠くに見える山の頂上近くには残雪がまぶしく光り、道沿いに並ぶ庭の木々には陽光が透ける黄緑色の小さな葉が見える。

私が年中さんだったある日、幼稚園の先生から母に連絡があった。「子供さんは、みんなと同じ行動ができません、言うことも聞いてくれません」というほぼ苦情だったそうだ。

私は幼稚園が嫌いで、毎朝泣いてしまい、園バスに乗せられないため、父が自転車に乗せて幼稚園に送り届けていた。自転車の荷台に座って父に抱き着いてゆらゆらと揺れながら走る、そんな朝の記憶がある。そして幼稚園での私の記憶で一番古く、はっきりとしているのは、広いホールの大きなすべり台のてっぺんから、太鼓の練習をしている大勢の子供、たぶん50人くらいを見下ろしている視界だ。

この記憶から推理すると、私はみんながパレードの太鼓の練習しているのを見ながら、一人で滑り台で遊んでいた、ということになる。これでは、先生も苦情を言いたくなりますよね、という感じだ。元教師の母はいろいろ考えた末、強制的に先生のマネをさせるために、人のマネをする練習をさせるために、私をピアノとクラシックバレエに通わせることにしたそうだ。

画像1

バレエもピアノも、気が付いたらやっていた。バレエはお姫様みたいなチュチュを着て踊るのが大好きだったし、ピアノも練習することが当たり前で、発表会ではフリルがたくさんついたワンピースを着て、舞台でグランドピアノを弾き拍手されるのが好きだった。

今でも、この二つのお稽古をさせてくれた母に感謝している。

私にも子供が生まれたら、女の子なら必ずバレエを習わせよう、ピアノも習わせようと思っていた。生まれた子供は男の子だったが、やっぱりバレエを習わせようと思い、4歳の頃本人に聞いたらキッパリと断られた。更にピアノも、まったく本人のヤル気が感じられず、こちらも断念した。ピアノについては後日談があり、つい最近、ピアノが無理だった理由を本人(11歳)が語った。

「楽譜の読み方が最近やっと理解できたんだよ。」

「え?今??」

「僕は音符のかたちでドレミが決まっていると思っていて、楽譜の規則性がまったく理解できなかったんだよね。五線譜のどこにあるのかできまるんだねぇ」

画像2

♪や♩¨でドレミと思っていたということ??楽譜の読み方なんて当然分かっていると思っていたよ(>_<)だってちゃんと弾いてたよね??ドレドレドとかドレミレドとか歌いながら弾けていたから、楽譜を読んでいると思いこんでいた。私の母がどうやって私にピアノとバレエを続けさせたのか聞いておけばよかった。

話は戻るが、その後、私が年長さんになるころには、みんなと一緒に行動できるようになって、幼稚園が好きになり、バスにも乗れるようになったそうだ。

一方、私の子供は、三歳児保育から幼稚園に入園させた。団体行動に早く慣れさせたかったからだ。

幼稚園のバスには初日から喜んで乗り、一度も泣かなかった。「お話がとても上手です」と褒められた。

子供は、年少さんのお遊戯会では司会のピンチヒッターをやりとげ、ビシっとダンスをこなし、年中さんでは、イヤイヤ期のみんなと一緒にイヤイヤ太鼓をたたいた。年長さんでは跳び箱に挑戦し成功した。

ただ、もともと睡眠時間が少なく、お昼寝は必要ないのに、布団に入れられ何もさせてもらえないのが本当にいやだと言って長期休暇中の預かり保育では毎日いやがった。それでも、夫と私の仕事を理解して幼稚園+延長保育に通った。聞き分けの良い子供だったと思う。

その後、子供は問題なく幼稚園を卒園した。幼稚園の先生にも給食とおやつを食べないこと以外では、褒められることばかりだった。そして今、子供は小学校が嫌いだという。

画像3

私が通った当時の小学校では、地域性もあるが、勉強さえできればほぼ最強のカードを手に入れることができた。私は学校の授業が退屈で、実際身体も弱かったのを利用(悪用か)して、しょっちゅう仮病を使って早退を繰り返していたが、通知表での評価はテストの点数で決まっていたのだろう、まったく問題がなかった。

ところが、子供の小学校の評価は、テストでは決まらない部分がほとんどのようだ。塾の面談で、学校の成績を話したら

「えぇっ??じゃあどんな子が「大変よい」をとっているんですか?!」

と、〇ーオンの先生はものすごく驚いていたし、大手中受塾でもまあまあ驚かれたが中受の世界では「あるある」らしい。しかし、子供が塾で他校の友達に小学校の成績を話したらドン引きされたそうだ。

私は、そんな成績表を見ても、子供を叱る気持ちにはなれずにいる。不本意なのは子供も私も一緒なのだ。これまでもこれからも、私は子供の良いところを見つけて、なぐさめ、褒め続けるだけだ。

あと10カ月で子供は小学校を卒業することになる。どうか、これ以上学校を嫌いにならないように。そして10カ月後には、いるべき場所、居心地のよい場所に行くことができますように。