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父の命日に寄せて

2月9日は父の命日だ。
子供は中学受験を終えて行く先が決まり、次へのステップを上り始めた。

お墓参りができないほどに遠く離れていたら、西に向かって手を合わせればいいんだよ、と住職の叔父が言っていたので私は今朝手を合わせた。息子が無事に育ち、受験を終えたことを父に感謝した。

父は旅館業のかたわら小学生向けの学習塾と小学生から大人までが対象の書道塾をやっていた。二つ合わせるともっとも大人数だったときには100名ほどが在籍していた。私も小学校に入学してから書道塾に通っていた。

今でも覚えている父の言葉がある。私が二年生の冬休みの宿題の書き初めで数えきれないほど練習を繰り返したあと、父は私の字を見て「愛想もこそも尽き果てた」と言った。意味がわからなくても、父の表情と声のトーンで見放されたと思った。父は私以外の皆には優しく指導するのに、私には異様に厳しかった。
私は書道を辞めた。

生前の父は変人というか不思議な人で、スプーンを曲げられると言って本当に曲げてみせたり、幽霊を見た、火の玉を見たと言ったりしていた。父は死後の世界を信じているようだった。

父が1*年前に病院で息を引き取ったあと、病院の地下で霊柩車を待つあいだ、たまたま一人になった私は父の耳元で「ねえ、今ならだれもいないから話してよ」とささやいた。ばかみたいだけど、話し好きだった父が、もしかしたらこっそり応えてくれるんじゃないか、と思った。しかし、当然そんなことはなく、当たり前に亡くなった父がいるだけだった。

父の葬儀には親戚と短歌の会の知人、友人が主に出席する予定だった。それだけで100名くらいはいただろう。母が喪主となったが、実際には私が喪主代行として動いていた。お通夜からずっと泣く暇もなくばたばたといろいろなことをやっていた。やっと葬儀が始まり、私は疲れ果てて読経のあいだ呆然として席についていた。

出棺する前に、お堂に飾られていた花を棺に入れるようにアナウンスがあった。ふと見るとみぞれが降るお寺の庭に、小学生から中学生くらいの子供たちが五十人以上集まっていた。
父の書道塾の教え子たちだった。私は彼ら彼女らをお堂に招き入れて一緒に花を入れた。神妙に花を棺に入れる子や、泣いている子たちを見ながら、父はきっと喜んでいるだろうと思った。

四十九日で納骨をしたときに、実家とは別の場所にある書道塾に足を運んだ。塾は父が亡くなる直前までやっていたので、ある程度片付けて電気やガス、水道を止める処理などをしようと思っていた。

小学校2年生の冬以来、一度も行っていない書道塾の中に入ったら、壁一面に数えきれない半紙が貼られていた。その半紙には父とよく似た毛筆の字が並び、朱墨で父が直しをいれていた。
みるみるうちに視界がゆらめき、涙があふれた。父の字を受け継いだ子がこんなにもいる、という驚きと嬉しさ、私以外のたくさんの子供が父の字を受け継いだのだという寂しさと後悔で胸が詰まった。

父の書道塾からは、師範が何人か卒業したと聞いた。父の字は彼らによって受け継がれた。そしてその字は更に次の世代へと受け継がれていくだろうか。