就職製品の環境には優しい内部分断がお似合いと言われても否定できない。
某カフェで楽しそうに話している女子高生。塾帰りの中学生に、クラブから帰宅する小学生と手を繋いで歩く母親。
今日も世界は美して儚い。
そんなことを思うたびに、悲哀と嫌悪が走る。この子達が進む先に明るくない未来があるとするならば。採用制度が変わらない市場のベルトコンベアー制度にこの子達はいつ気がつくのだろう。経済がゼロサムゲームで回っていることに薄々気がついているのかもしれない。そんな現実をどう見ているのだろう。文化資産を守ろうとしても相続税で持ってかれて。。。
クラスの中、あるいは他のコミュニティの中でルサンチマンを沢山見てきた子達は少なくないだろう。妬み恨み嫉妬。そんな人間の一面ばかりが蔓延る社会に誰が出ていきたいと思うだろうか。
いやいやそんなの一面に過ぎないと手懐けるのであれば、今起きている現状はあるいはここ30-40年の間で繰り広げた議論の殆どが微々たるもので終わっていてその延長線上の今があるのではないだろうか?
風の時代やらコミュニティやら、横の繋がりやら。言わんとしてることは分かるけれど、そう言いながらも皆がやっているのは結局のところポジション争いで優しいディストピアが見えてくるのは僕だけだろうか。
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