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テクノロジーはダンスを侵蝕しないけどスタイルは盗まれる。

スタジオやライブ会場で生で体験できた日常から切り離され、ディスプレイを挟んで見ることが多くなったエンタメ業界。ダンスもその一部だ。海外の振付師を筆頭にレッスン動画を配信したり、コンテストを中継で繋いだりとそれ相応のやり方で発信していてこの先テクノロジーが後押している面がどれだけ出てくるかが楽しみな点でもある。

ご存知の方が多いかもしれないがテクノロジーを使ったダンスはすでにいくつかあった。

例えばこれは、ソニーとs**tkingsやShingo Okamoto,yohie など現在なおアーティストのコレオグラフを担ってきたダンサーとのコラボで身体と音を繋げた企画だ。

はたまた

マスクとテックを使ったクルーが生まれたりと多種多様である。

表現の拡張が広まるのは良いのだが、身体とテクノロジーによる演出は飽きてきた。仮想空間にライブ会場を作っても生の臨場感には劣るだろうし、身体能力とナンバー(全体で振りを合わせる)に特化した専門性は老化していく。振付創作における過程の研究も既にされている。例えばAIに振り付けのデータを取り込んでビッグデータにしてしまえばなんとなく”とある人”っぽい振り付けをモーションキャプチャーで作れるようになるなんてことは誰にでも思いつきそうな考えだ。

人間が合理性を求める限り、あるいは生産的成長を求める限り最大のノイズは人間であると同時に人間的なあまりに人間的な表現が出産され得るには”対話”を考えていかないと廃れていくと僕は思う。

これは悲観ではない。ゆっくりとした衰退であっても着地地点は表現者そのものにかかっている。グッズ販売して環境と限界費用を無視ししてサスティナブルなサイクルなんて毛頭にもなさそうな刹那的なクリエイションをしている場合ではないのではなかろうか。。。

おまけ。

ダンスを用いた博士論文。こういうアカデミックな感じも堪らない。




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