捨ててきた物語が形作った個性とやら.
2年前に書いてるけど「まじそれな」となっているこの感覚は, 自分のアナザーヒューマンと話してる気分で「あゝこれがDigital humanとの対話か」と妙な納得感を懐いて喜んでる.
これ確かマーブリン工作か染め紙工作やってた時に考えてたことのような気がする. 忘れた. 保存された自分のデータが自分より自分を知ってるだから味わい深い. 忘却も大切ではあるのだけれど.
個性とかキャラとか. 自分を忘れても変わらない愛すべく偏りを詰め込んだ細胞の集合体.
依存させない状態で”場”に身をおいた時の関係性で(例えば奏者と歌い手)身体の脊髄反射で選択したであろう産物をパラパラ拝見する. 自分にとって大切なものが分かっている人が切り捨てた背景にある物語.
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