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個、社会の今後。

個別最適化の先にある、個別最適な人生構築に疑問しか湧かないのはある種の分断的な側面を孕んでいてそれを是非とするか否とするかは個人レベルではなく国家のマクロ的な視点で考えられるからだと思う。

Giftedのような、突出した才能を持つ子達を出る杭叩きするのは論外として一方で一つの基準から離散していった時上下を隔てる生活を推奨し援助して良いものなのか?数学がめちゃくちゃできる人とできない子が共存しないクラスで育った後の社会では、お互いがお互いを理解し共存できるのか?という素朴な疑問である。

環境に恵まれた運ゲームを、そのまま野放しにかつ加速させるのに共同体は考えなくてもいいものだろうか。

自由主義と共和主義の狭間。アンチソーシャルとプロソーシャルの波打ち際。テクノロジーの加速によって個人的な自由を担保しつつ共同体意識が薄れても共存可能な優しいディストピアをどうにか捏ねくり回してポジティブに解釈する向きに何か健やかではないものを感じとっている。

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