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エクスキャリバーを折る決意と、魔法の杖を振る準備。

2年前の記事を読んであれから「僕たちは何かを作ってこれたかな?」と内省しながら振り返る。

普遍性のボーダーラインから溢れ落ちる人を掬い上げる vs 遊牧の管理統制する vs 環境設定と道具を作って動かす が起きる.

noteより

現場ではまだこの戦いが続いていて中々に味わい深い現場感なのだけれど本当に何も考えないで過ごしているとウルトラCとか「魔法カード!ブラックホール!」が身についてしまいがちで嫌になる。誰かを黙らす正論だけを身に付けたい性癖が心の底から嫌いである。

自分たちで動けるようになるための過程を作るのに、目標設定を考えがちだけどそれより一歩手前のゴールを立てるゲームを作るか探してこないと話にならないなと気づいて(というか最初からそうだったんだけど。。。)目的のいらない遊びから立ち向かいたい遊びに変換する錬金術を鍛え得るか?が僕のトレンドである。

できっこないをやらない茶番な人生を歩むのは中々に味わい深さが足りないと思う。感動できるか?祝福できるか?大人がそもそも感動し祝福しているのか?1つの通過点に差し掛かってる今日この頃である。

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