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昔の話(2)閉鎖病棟の一般病室から開放病棟へ

閉鎖病棟は、男女別になっていて色んな患者さんが入院していた。退院が決まったから、と言って3階の鉄格子の間からボストンバックを地上に落としている人、ひたすらずっと寝ている鯨のような人、お母さんに会いたかったから家に火を付けたって人もいたなぁ。ご飯は食堂に集合して食べ、食後に列を作って看護師さんの前で薬を飲み、口を開けて口の中に隠してないかを見せる。

売店にも自由には行けない。売店に行きたい人はナースステーション前に集合し、お小遣いの入った透明の袋を渡され、看護師さんに前後挟まれてナースステーションの中にある出入り口から1階に降りる。買い物が終わったら買ったものとお小遣いの残額を看護師さんに報告して、また集合して病棟に戻る。

お習字などのレクリエーションもあった。入浴は週2回。30年前は今ほどうつ病がメジャーではなかったし、高校生で入院している私は若くて看護師さんたちに娘のように可愛がって貰った。家庭で埋められなかった母の愛をここで貰えたお蔭で、少しずつ元気になっていていったのかもしれない。

入院して3ヶ月後くらいに2階の開放病棟に移ることができた。開放病棟は病室は男女別だが、ホール(食堂)は繋がっていて、売店にも外に散歩にも自由に行ける。精神病院は男性の看護師さんも多く、ここでも娘のように可愛がって貰えた。投薬の効果もありうつの反動で躁になった私は、ナースステーションの前にある公衆電話からやたらと電話をしたりしていた。開放病棟では日中1階にあるデイケアセンターに遊びに行くこともできた。だいぶ元気になった頃、高校の出席日数が足りずこのままでは卒業できないので、開放病棟から高校に通学していた。高校3年の夏休み前だったように思う。そして入院から8ヶ月、ようやく退院することができた。

高校3年の2学期は受験のための自宅学習が多く、クラスメートと顔を会わせることも少なかった。出席日数が足りない私のために先生方が個別指導をしてくれた。そしてなんとか卒業でき滑り止めに受けた大学にも奇跡的に合格できて、私は大学生になった。

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