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「捨ててスッキリしたい」のではなく「ひとつのものを大事にしたい」だけなんだ

片付け関連のnoteなどを見ていると、必ず「捨て活」と言うような言葉に出逢います。
捨てることでスッキリと暮らせる。
捨てることで身軽になれる。
私もよく言うし、それ自体は共感するのですが、最近なんかちょっと、違う気がしていて。

「捨てる」ことを目的にしてしまうと、片付けではなく「無駄だと思う理由をでっちあげる」ようになる…気がするんですよ。
必要なものなのに、そしてそれを収納する十分なスペースもあるのに、「無駄だから捨てちゃおう!」となってしまう。

何にでも「余白」「余裕」「蓄え」は必要。
何でも捨てりゃ良いってもんじゃない。
(と、私が言うのも変な話ですが)

で、しみじみ思ったのですが、

私はべつに「捨てたい」わけじゃなく、
「ひとつのモノを大切にしたい」だけなんだな、と。

ひとつのモノを大切にしたいために、それ以外のモノ(決して無駄なわけではない)とは今はお別れしよう、というだけのこと。

ひとつのモノを大切にするために、それ以外のものは持たないようにしたいだけ。

と言うことに、少し、気付きました(*´ω`*)

主軸をどこに置くか、と言う話なのですが、
ごくまれに、「片付けた先にどうしたいのか」ではなく、「捨てる」ことばかり目がいってる人がいらっしゃるので。

片付けって本当に自分の生きざまについて考えさせられる行為ですね…。



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