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「お前には片付けてほしくない!」と言われ、嫌われていた時のこと

ふと思い出したので自戒を込めてシェア。

今でこそ人に「捨てることの意義」を考えてもらったり、お客様の気持ちに沿った片付けのお手伝いをしている(…と自負している)私ですが、以前は「お前に片づけてほしくない!」と言われたことがありました。

ぶっちゃけ、身内(実家の家族)なんですけど。

そう言われると、こちらは「わざわざ片づけてやってるのになんて酷い言い草だ!」と腹が立ち、一切の家事を放り投げたり、余計にむきになっていろんなものを捨てたり。
そんなことをするものだから余計に家族とも対立が深まります。
父など、私が捨てたゴミ袋を漁ってまで「何を捨てているのか」を確認するようになりました。

■「してあげている」という思考はやはり危険

片付けに限らず、子供に勉強を教えるのだって「あなたのためなのよ!」と言いつつ、本音のところは「親としてこんな成績じゃ恥ずかしい」とか、「まるで躾を怠ったみたいにみられるのが嫌」とか、8割くらいは自分自身のためだったりしますよね。
それでいて「方法論」を説くのではなく「根性論」を説いているだけ。
「やればできる」、つまり「お前にはヤル気がないだけ」だと、無理やり子供を追い込んだり、身内にがみがみ説教したり。
これではお互いにうまくいくはずがありません。

■「自称:片付け好きな人」が陥りやすい罠

ただ、片付けに関しては、自分自身のためでもあるワケで。
家の中が片付いていないと誰かが困る。だから渋々私が片付ける。それに対して怒る人がいる。
昔はこの構造が理解できていませんでした。

私は良かれと思ってやってあげてるのに!

なんというおこがましいことでしょう。

「自称:片付け好きな人」はこの罠に陥りやすいものです。
見た目にはきれいになりますが、しかしそれはあくまで「自分の目を通してみた世界」がきれいになるだけ。
他人や身内の視界にとってはただ「必要なものを無許可に捨てられた」世界でしかないのです。

■他人と自分は違う生き物だという自覚が必要

片付けの際に一番必要なのは、「この人(クライアント)と私は違う生き物」だという自覚だと思っています。
私に合っている片付け方でも、クライアントには合わない(ことが多々ある)。
その方法は、クライアント自身が決めること。
そして私は、その手伝いしかできないし、手伝いしかしてはいけないということ。

人の人生は、その人自身が決めなければならないんですよね。
片付けを通して色んなことを学んでいますが、この感覚だけは絶対に忘れちゃいけないことだなーと。

春、3月は子供部屋の片付けに最適な季節だと思っている私です。
ぜひお子さんのいるご家庭にはこの春に子供部屋を一緒に片づけてほしい。
ですが、その際に「こんな無駄なものは捨てなさい!」とか、「これはこう置くべき!」などと、自分の勝手な理想を子供に押し付けないようにしていただければ嬉しいなと思います。

もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)