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「収納さえあればいい」と思っている人

幼いころの話です。
こちらの「ヲタクの生前整理」に出てくる私の愚弟が、私に向かって言いました。
「姉ちゃんの部屋が片付いているのは、俺の部屋より広くて収納があるからだ。部屋を替わってくれれば俺だって片づけられる!」と。

確かにその頃は、私の部屋の方が広くて、大きめのクローゼットがついていました(※弟の部屋にはクローゼットなどが一切なかったのです)。
弟の訴えも分かるので、部屋を交換してあげました。

おそらくこの時点で皆様もオチが読めたと思いますが…、

広くて収納のある部屋に移り住んだ弟は、その部屋の広さをフルに生かして散らかしたわけです。
狭い部屋に移り住んだ私は、狭いなりにモノをコントロールし、スッキリ過ごしました

とまぁ、こういう話はよくあるケース。

■場所があっても片付かない人

「収納さえあれば片付く」というのは、モノを中心に考えた思考で、とにかくモノを何とかしようという思考回路なんですね。
片付けって、その思考回路を逆に向けないといけない。
「自分がどう暮らしたいか」を軸に考えて、「その場合、どういうモノが必要か」「どれくらいのモノが必要か」と、生活の中心を「自分」に据えないといけないわけです。

いまお伺いしている片付けの現場が、某サンリオキャラクター大好きなお家。
その家というのがかつて親御さんが住んでいらっしゃったご実家で、その中にはキャラのグッズがところ狭しと積み上げられており(そもそも床に足の着く場所がない)、結局そのせいで家に入ることもできなくなったという状況。
親御さんたちも亡くなり、空き家になっていたのをこれ幸いにと物置代わりに使っていたのが運の尽き。維持費も馬鹿にならず、さすがに片付けないと、人に貸すことも売ることもできないその実家が負担になったようです。
必死にそのグッズをひとつひとつ確認して取捨選択をお願いしているところですが、つまり「好きで好きで集めたグッズに自分の生活を圧迫されている」というわけです。

■収納とは「取捨選択」の繰り返し

収納を「場所さえあればいい」と勘違いなさっている人は多いらしく、おかげさまで私のような仕事が今ブームです。
だからこそ「家、とりわけ収納スペースは広ければ広いほどいい」という思考に陥り、自分の生活スペースを考えずにタンスや収納ボックスばかり買い足したり。

そしてそういう人は、増えた収納スペースをぎっちりとモノで溢れさせなければ気が済まなくなってしまいます。モノが好きなのか、「詰め込む」ことが好きなのか、もはや自分でも分からなくなるくらい。むしろ広いスペースなど作らなければ良かったものを…と嘆いても後の祭り。

とても興味深いツイートを拝見したのでシェアしておきますね。
継続してヲタク活動(ヲタクと言わずとも「自分の好きな趣味」と言えばわかりやすいでしょう)を続けるにはどういうことに気を付けるべきか、をSDGsの項目になぞらえて作ったものだそうです。
これを見ると、いずれも中心は「場所」や「収納」ではなく、「自分自身」なのです。

私自身もオタクだし、好きなモノを集めたくなる気質の持ち主。
でも、
「果たしてこのグッズは私の生活を豊かにしてくれるか?」
「推しグッズを集めすぎた場合、私の生活スペースはどうなるのか?」
「それだけのグッズを集めて、そのひとつひとつを私は愛することができるだろうか?」
ということを考えなければなりません。
推しを愛する気持ちはとても素晴らしく、自分が貢いだことによりその推しやジャンルが永らえるのはとてもいいことです、が。
そもそも、それによって自分を失うようなことがあってはなりませんし、自分が貢げないようではジャンルを支えることはできないわけですよね。
持続可能な推し活、SDGsな推し事を続けるためにも、「自分」を軸に考えることは大切。モノに振り回されないようにしたいものです。

▶「モノ」ではなく「自分」を中心に人生を考えよう。

本日のまとめでした!

もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)