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Way of the Awakens

 覚醒への道

Laboの男 能力の世界観概要
extra特別講義with玄白 阿頼耶識【あらやしき】

カーリーヘアーのくせっ毛に白衣
中指で黒縁メガネを上げる。
新人研究員たちに講義をしている。
もふもふ頭をわしゃワシャしながら
オーディエンスにむけ
話しかける。
「さて、みんな元気にしてるかい?
 くり返す日々のなかで
 ふと不思議に思ったことないかい?
 例えば、毎朝洗面所で顔を合わす
 この鏡に写ってるのってホントに自分なのか?
 そもそも自分ってなんだろう?
 想いが物事を決するのは
 昔から変わんないんだけど
 そのルーツ意識はどこから来てるなんてさ?
 自分が思ってるから考えてるから
 自分に違いない?って思ってないかい。
 その疑問に少しは答えられるんじゃないかと
 見つけてきたのがアラヤシキなんだね。
 阿頼耶識システム
 この玄白が思うニアピンがこれ。
 まぁ〜ここまでに至るまでは
 本を読みまくったり人体実験だとか
 大変だったんだけどね
 上手く言い表せてると思うんだけどね。
 さて
 阿頼耶識【アラヤシキ】を説明しよう。
 このモニターを見てくれ」

  眼識【げんしき】
  耳識【にしき】
  鼻識【びしき】
  舌識【ぜつしき】
  身識【しんしき】
  意識【いしき】

これら五感【五識】を統括する心、考える心
意識【いしき】を合わせて
六識でひとまとまりとして
考えると分かりやすい。
日頃、人間はこの六識で生きている。
ただ面白いのがアラヤシキでは
現代の感覚器官として、だけでは説いていない。

【眼識】眼で見て楽しむ 目の心
しかし見る楽しみは長くは続かない。

【耳識】耳で聞いて楽しむ 耳の心
しかしもっと新しさがないと感動は続かない

【鼻識】匂いを楽しむ 鼻の心
しかし長続きはせず、すぐに消える

【舌識】味を楽しむ 舌の心
好きなモノでも毎日食べると飽きがくる

【身識】体験を楽しむ 身の心
体を動かすとスカッとするが長くは続かない

【意識】前五識を統括する心 考える心
思考を楽しめど喜びは長くは続かない

と、少し解釈が違う。
感覚は、last longしないと言っている。
長続きしないし
一過性でマボロシとも受け取れる。
これらにプラス1識の全七識で
表層的意識とする。
もう一識の名は末那識と呼ばれる。

 末那識【まなしき】
     アラヤシキを自我と誤認する
     自己執着の心

全七識を図式的に内側とするとその全てを
おおう大きさで阿頼耶識【アラヤシキ】が包む。
深層心理的 無意識的なのが阿頼耶識となり
玄白、明智が目指している所となる。

わざわざ末那識【まなしき】を
別に説いているからには訳がある。
それは1番厄介だからだ。
現代人には分かりにくいポイントだから
詳しく説明する。
なぜに自己執着の心が意識と別なのか?
仏教でいう邪念と捉えられている。
邪念があるから取っ払おうと修行するんだけど
実はシステムの一部でしたってオチ。
とっぱらおうとしても、取れません。
仏教では、足掻くのも大切で
ある段階にならないと分からない境地ってのも
大切にする。現代風にいうとリスペクトだね。
ただそこまでの域までで、尊敬の念は伝わっては
無いだろう。
おそらく仏教概念では、1番大切なのが
「手放す」ってコトでそれを大きく邪魔するのが
末那識【まなしき】になる。
力学的にいうと
ウチに向いている矢印と外に向いている矢印。
集約するチカラと発散するチカラは同じで
ベクトルの違いでワンセットである
考えに近いかな。
内に向かう利己的なのが悪と捉えられて
外に向かう利他的なのが善って捉え方ね。

あまりピンと来ないかもしれないが
資本主義ってのがヒトの欲望を
肯定するシステムであるから
さらに、ややこしくする。
人間社会に根づいてしまってるから
欲望に疑問を抱かなくなるでしょ?

末那識の末那【マナ】とは梵語の『マナス』を
音写したもの。『マナス』は「思い量る」という
意味で「思量識」【しきりょうしき】ともいう。
思い量るは「自分の都合」
寝ても覚めても思い量るは自分のことだけ。
何事も自分中心に物事を考える心「末那識」
現代人が分かりにくい
無意識の部分「阿頼耶識」
対して執着する心「末那識」
「無我である真実の自己」が分からず
自身でないモノを勝手にコレが自分だと
思い込み自我を生み出した心
「自我執着心」であり
「無意識に執着する心」自覚が無いってことね。
コレは厄介で四六時中働き休まる事がない。

現代人ってのはそんな感じよね。

 無間断【むげんだん】
     我々は自分に1番関心があり
     無意識に自身を感じたい知りたいこと

玄白はまだまだこの領域っていうことだね。

サンスクリット語でアーラヤ・ビジュニャーナ
頭をとって阿頼耶識【アーラヤ識】
アーラヤは住所 ビジュニャーナは認識の意味。
認識のアリどころだね。おさまりどころ。

 「みんなっ ついて来れてるかい?」

 「よかった、ボクのうさん臭さが
  悪く働くこともあってね。
  興味のある所で助かるよ。
  大体、宗教がらみになると
  煙たがるヒトがほとんどよ」

 「我々が目指す覚醒は明確なコンパスが
  ないから、説明がむずかしいのよ。
  つづき行くね」

ヨーガ=瑜伽【ゆが】の実践中に唯識体験を得
わかりやすい所で「悟り」ね
教理にまとめたのが阿頼耶識。
阿頼耶識以外は基本的に
心的渇きがともなって終わりがない
満たされることがないってこと。
ちがう言い方だと
「足ることを知る」ってのが有名かな。

 唯識無境
心【識】だけは仮に存在すると考え
深層心理の阿頼耶識が自分の意識も外界にある
と認識されるモノも生み出していると考え

「世界を創り出しているのはオノレ
 かりそめの自分を創り出してるのもオノレ」

 境識倶泯
最終的には阿頼耶識も空であるとする

「最終的には目指すアラヤシキすら、かりそめ」

こんなのもあるんだけど理解は
次回以降で大丈夫よ。
こうなってくるとさらに掴みどころがなく
遭難しそうになる。が原理的には理解が届く
範囲だとボクは思っている。
なんだろうな〜
答えと方程式のある程度は分かっているんだけど
方程式の何パーツかが判明してない感じ。
 1+?=2  
シンプルにいうと、こんなかなぁ。
スゴイ数式は、こんな感じで方程式を
導き出して宇宙の神秘をも
解き明かしてゆくそうよ。
果てしなく
玄白には専門分野外の世界だけど
通じるモノがあるよね。

さて
全てを可能とする阿頼耶識【アラヤシキ】と
それをはばむ末那識【マナシキ】
末那識までの七識含めてがインナースペース。
影響があるんだけれど
ヒトは存在自体気付いてない
阿頼耶識ことアウタースペース。
地球にとどまってくれと働く重力が
末那識【マナシキ】とするなら
宇宙へ飛び立とうとするフロンティア精神
阿頼耶識【アラヤシキ】
なんて例えるとロマンチックかな。
それまではそのインナースペースだけで
何とかしようと試みていたけれど
なんとなく上手くいかないのが
分かるよね。
アウタースペースはまだ
果てしなく広がっているからね。
と、まぁ
おそらく末那識が覚醒のストッパーとなっている

現行で確認されている覚醒のきざしは
六識の能力の向上が大多数。
例えば明智は目識【げんしき】の能力
大抵、キャラクターがそのまま反映される
ことが多くて彼の場合は視覚で物事を決定する
現場ならではの判断をする事が多いのだろう。
ボクは耳識【にしき】の能力
ボクの場合は実験の際に
物質に聞くことが多いだろう?
だからじゃないかなって思ってるんだけど。
薬品を混ぜる時があるでしょう?
そんな時の正解を物質が教えてくれる。
そういう意味ではみんなが何を思っているか
少し聞こえるよ。
人類の言葉として聴こえるんじゃないけど。
ところどころ楽しみながら講義を
受けてくれているだとか
何を玄白は言っているんだ?だとか
チカラ強い念だとあふれ出てるから分かるのよ。
ハイ!君ぃ
 「あの〜よく能力をむやみやたらに
  公言すると命取りになるなんて
  言いません?」

「それね、いぃ〜質問だね」

「そもそも能力には個体差が顕著にでるから
 便宜上、【〜識】言ってるけど
 その【目識】でも発動のパターンが違う。
 ひと枠の目識【げんしき】でも千差万別。
 現行では確認されてるのは
 単独の【〜識】だけど
 複数の能力発動も可能だと思うよ」

明智の場合だと彼は探究心と行動力が特徴で
すぐに動いちゃうタイプ。
動くまでに状況を瞬時に把握するクセがあって
日頃から目に頼って生きていることが多いみたい
だから、相手の弱点が見えたり、探している物が
壁を越えて見えたりする。
発動の方向性が性格を反映することが多いから
掌握しきれない能力がコレから
発見されるだろうね。
だから、目次くらいバレても大丈夫なのよ。

「ちゃんと質問に答えられてるかな?」

 「なるほどです玄白さん」

あらたまって瞳を閉じまっすぐ前を見て
真剣な顔をする玄白

「勘違いしてはいけないポイントがあって
 覚醒=スーパーマンって訳ではない。
 元々の能力が引き出されるだけ
 だからそんなに偉くはないのよ」

「おそらく太古の人々は普通に
 やってのけてたんじゃないかな?
 現代人が文明を高度発展に導いたと
 偉そうに思っているけど
 それと引き換えに
 ヒトのポテンシャルが相当
 退化したんじゃないかな」

「実は標準装備なんだから能力なんて
 スペシャルでもなんでもない。
 捨てちまった
 本来、人類が持っていた能力発掘には
 それくらいが丁度いい。
 それらをどう扱うかがネックであって
 どう扱うかがポイントなのよ。
 能力の良し悪しはナイ!
 あくまで性格、キャラクターなだけ。
 覚醒の波動が間違いなく世の中に伝播し
 刺激を与え一般の人達にも影響が
 出るだろうと推測される。
 玄白にはあまりに明白なので」

「あくまで現象として捉えれば起こるべきして
 ハプニングする」

「ニンゲンの悪いところは自身が他者より
 優れているって思っちゃう所で
 それこそ末那識【マナシキ】に
 操られないことだ。
 能力の使い方次第でどうにでもなる
 とんでもないノビシロ!」

 「どぉだい、ワクワクするだろ、みんなっ!」

講義は続いている。


サンスクリット語で
アーラヤ・ビジュニャーナālaya-vijñānaという。
アーラヤは住所ビジュニャーナは認識の意味。
仏教の瑜伽行唯識【ゆがぎょうゆいしき】学派
のたてる根源的認識。
瑜伽行派または唯識学派ともいわれ
中国と日本では法相宗【ほっそうしゅう】
とよばれる。
眼 耳 鼻 舌 身 意による六認識と
アーラヤ識を自我と誤認する
自己執着である末那識【マナしき】と
アーラヤ識との八識をたてる。
前七識が表層的、意識的であるのに対し
アーラヤ識は深層心理的、無意識的な認識。
アーラヤ識は前七識とその表象
つまり自我意識、意識ある存在者、自然などの
あらゆる認識表象を生み出すとともに
それらの表象の印象を自己のうちに蓄える事から
種子に例えられる。
アーラヤ識は種子として
刻々に変化しながら成長し
成熟すると世界のあらゆる現象を生み出し
その果実としての印象を種子として
自己のなかに潜在化する。
世界は外的な実在ではなく
個体の認識表象である。

要は、願いは叶っちゃうって話だ。

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