パニック障害再発。

ある日のこと。僕は休みでいつものように自室にこもって携帯をいじってダラダラしていた。

そうすると、何やら1階のリビングで嫁と義母が言い争っているのが聞こえてきた。

とてもめんどくさい。関わりたく無い。
そう思いながらもどんどんエスカレートしているのが分かった。

嫁は嫁で、僕と義母の不仲による板挟みの状態がストレスだったのだ。
いや、お前がもっと頑張ればどないかなったんちゃうんか?としか思わないし同情は全くしていないが。

そして、ついに何かのキッカケで嫁がキレたようだ。義母には禁句がいくつかあるが、最大の禁句は「働け。」なのだ。

義母の年齢はまだ働いている人もいる年齢だ。しかし股関節に障害があり、尚且つ社会人経験もほぼ無い義母にとって、仕事や働くという指図は1番言ってはいけない事だと嫁に以前聞いていた。
じゃあお前も俺に仕事の事で、とやかく言うなやと内心思っていたが。


そうして段々2人とも口調が荒くなっており、破裂音がしたので、さすがに様子見に行くか〜と、そこにいるであろう子どもが心配になり、嫌々リビングに行くと、そこでは感情をぶつけ合った結果、椅子まで壁にぶつけられた残骸があった。

とりあえずこういう時は、いらん事言わんとこう。と子どもに怪我は無いか確認し、2階に上がるように言って、僕は無言で壊れた椅子を片付けていた。そして片付けが終わると何も言わずに2階に帰った。まだ2人とも言い争いが終わっておらず、心底めんどくさかったので、
子どもの相手をしに行った。

するとしばらくして、感情が爆発して泣きじゃくる嫁がやってきた。
嫁は嫁でストレス溜まってたんやな〜と実感し、夫婦でお互いに日頃の謝罪を言い合って、感謝の気持ちも伝え合っていた。
夫婦にとってとても大事な時間だった。

そこに、烈火の如くキレた義母が、暗黙の了解を破って僕の部屋に無断で入ってきた。
そこからは様々な罵詈雑言を僕に浴びせられた。あまりにも唐突で、訳が分からなかったが、人として言ってはいけないような事を言われていたのはぼんやり覚えている。

その中でも覚えているのは、
「私はこれまでな、ずっと我慢してきてたんや!!あんたの態度に腹立ってしゃあなかってん!!あんたどんだけ子供やねん!!
あんたは障害持ってるはずや!!大人になれてへん!!発達障害あるはずやから病院行って薬もらって来い!!」
そんな感じで怒鳴られて、ひとしきり僕を
罵倒した後は、無言で1階に降りて行った。


それからしばらくして、僕はまた過呼吸と手足の震えが頻繁に起きるようになった。
家にいても、職場にいても治らない。
それでも休み休み仕事にはなんとか行っていた。それ程までに家にいたく無かったから。
もう生きてるのが嫌になって、ベルトで首を吊ったが重さに耐えられず死ねなかった。

そして遂に立って歩く事も、外に出る事もままならなくなり、休職した。
ついでに家を出て実家に帰った。

重度のパニック障害と鬱状態。
そう診断された僕は、人生で最も長く苦しい時間を過ごす事となった。

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