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儀式は大事という不都合な真実

読んだ。

インターネットは飲み会ネタ好きだよな。これの後に投稿されたツイートもめっちゃバズっていたし。

飲み会を断るのに余計なことを言うのはアホである。それこそ「言う意味あります?」「説得できます?」という話だ。そんなことを言って誘ってきた相手が「確かに、飲み会をやる意味ないな。君の言う通りだ」なんてことにはならない。よくて「何だこいつ」、悪いと敵認定される。

だが飲み会に行きたくないのはよく分かる。俺は仲の良い人達との飲み会でも躊躇する。あすけんの点が下がり、金がかかり、寝る時間が遅くなる。そもそも俺は酒を一滴も飲まない。

それでも飲み会には50%ぐらいの確率で参加するようにしている。なぜなら仕事で成果を出すためには個人のパフォーマンスだけでなくネットワークも重要であり、ネットワーク形成・維持に飲み会は有効だからだ。ネットワークの重要性については以下の記事に書いた。

俺はコスパを意識し、理性で感情をねじ伏せることによって飲み会に参加している。そうやって社会人生活を送ってきたわけだが、最近こんな本を読んだ。

その名の通り儀式 (リチュアル) の重要性を研究した本である。飲み会以外にも、人間社会には様々な儀式がある。対象となるのは伝統ある祭りだけでなく、サークルにおける通過儀礼や、スポーツ選手が行うルーティンなども含まれる。様々な儀式が人間の身体や精神にどのような影響を及ぼし、集団を統率する上でいかに有効であるかを説く。

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