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東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史【イスラーム世界史】

 こんにちは!東大生ラッパーの法念です。今回はイスラーム世界を大雑把につかみますよ。「東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史」を読んでから(すみません、頑張って更新しております…)、このノートを読まれることを強くオススメします。
 ではみていきましょう!

東西が輝く時代(7,8世紀)

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 この時代にイスラームは誕生しました。ビザンツ帝国とペルシア帝国が争っていたことで、そこを通る交易路が使えず、まわり道として紅海(アラビア半島とエジプトの間!)が使われたのでした。
 それにより、アラビア半島の西側の沿岸が経済的に発達します。経済的に発達すると、金持ちと貧しい人の格差が広がります。結果として、平等を訴えたイスラームという宗教が広まったのです。
 ムハンマドという男が、神の言葉を伝えられたとして広めたのがイスラームの始まりです。ただ一つの神様を信じるため、キリスト教やユダヤ教と同じ一神教であり、これらの宗教と同じ神を拝んでいるという意識はあるようです。
 イスラームははじめ、アラブ系の民族の宗教でしたが、やがて色々な民族に受け入れられていきます。それらの民族は自分たちでも王朝をたてました(そのせいで少しややこしいわけですね笑)。

イスラームの特徴

 イスラームは、カリフと呼ばれるリーダーのもと、イスラームの教えに基づく支配が行われるべき、という理念をもっています。そのような支配が行われる場所を「イスラームの家」とよび、その外側を、異教徒(他の宗教を信じる人々)が争いを繰り返す「戦争の家」と呼びました。
 「イスラームの家」は理念の上では、一つの国(帝国)であるべきと考えられました。イスラーム世界は、最初はこのような状況を保つことができたのです。

 カリフが選挙でえらばれ、安定的な支配をしていた時代を「正統カリフ時代」とよびます。661年まで続きました。
 しかしその後は、(アラブ系の)ウマイヤ朝という王朝がイスラーム世界を統一し、ウマイヤ家がカリフを世襲する時代になります。世襲というのはつまり、カリフが亡くなったら、次のカリフはウマイヤ家から選ばれるという状態のことですね! ウマイヤ朝の首都はダマスクスでした。
 ウマイヤ朝の次にイスラーム世界を治めたのは(アラブ系の)アッバース朝でした。アッバース朝はウマイヤ朝を破り、広大な領域を支配します。バグダードという都市を建設し、首都としました。カリフの地位は、アッバース家が引き継ぐことになったわけです。

 さて、実はウマイヤ朝が登場したタイミングでイスラームは大きく2つに分裂していました。聞いたことがあるかもしれませんが、スンナ派とシーア派のお話です。
 これは、ウマイヤ朝のカリフを認めるかどうかの争いでした。ウマイヤ朝の(そしてそれ以後力を握った)カリフを認める人々がスンナ派で、現在多数派です。シーア派はそれを認めず、最後の正統カリフ(アリーといいます)の子孫だけを指導者として認めています。なお、シーア派では指導者のことをイマームと呼びます。
 シーア派は少数派ですが、もちろん少数派が間違っていて多数派が正しい、などという考えは捨てましょうね! 歴史上登場したシーア派の国は、ファーティマ朝、ブワイフ朝、サファヴィー朝、カージャール朝、(現在の)イランだけとりあえず抑えておきましょう。このノートで紹介する王朝は、これ以外は全てスンナ派です!

 アッバース朝の話に戻りましょう。アッバース朝はアブー=アルアッバースという者によってたてられた王朝で、かなり東の方にまで勢力を伸ばしました。その結果唐(東アジアの帝国でした!)とも衝突し、タラス河畔の戦いが起こりました。ちなみにこの戦いによって、イスラーム世界に東アジア世界の製紙法(紙を作る技術)が伝わっています。

それぞれが自立する時代(9~12世紀)

 9世紀になるとアッバース朝も衰え始めます。ウマイヤ朝の残った勢力は8世紀にすでにイベリア半島に「後ウマイヤ朝」をたてていましたが、中央アジアでは(イラン系の)サーマーン朝が力を持ちます。

 10世紀になると、さらにいろいろな王朝が建てられます。エジプトには(アラブ系やベルベル系などの)ファーティマ朝(シーア派です!)が進出しました。そしてファーティマ朝と後ウマイヤ朝は、アッバース朝にカリフがいるにもかかわらず、それぞれ「カリフ」を名乗ってしまうのです。ファーティマ朝はカイロ、後ウマイヤ朝はコルドバを首都においていました。
 また、(イラン系の)ブワイフ朝(シーア派!)は、アッバース朝の首都であるバグダードを占領してしまいます。そして、形式的には、カリフに現地の支配を任されたものとして、「大アミール」という称号を得ます。事実上はアッバース朝の支配など、ほぼないようなものでした。ちなみにこの王朝は「イクター制」という支配の仕方が有名です。ブワイフ朝とアーティマ朝、10世紀はシーア派の王朝が力をもっていたんですね!
 そして、アフガニスタンでは、サーマーン朝の奴隷が自立して、(トルコ系)「ガズナ朝」という王朝をたてていました。

 11世紀は、トルコ系の王朝が力をもった時代でした。ブワイフ朝にかわり、(トルコ系の)セルジューク朝がバグダードを圧迫します。セルジューク朝もやはり、カリフに現地の支配を任されたものとして称号をもらいますが、このときの称号は「スルタン」というものでした。
 同時期、北アフリカではマラケシュを首都にした(ベルベル系の)ムラービト朝という王朝が発展しました。ベルベル系は、北アフリカに多い民族です。

 12世紀になっても、アッバース朝の衰退は続き、さまざまな王朝がたてられる状態に変わりはありません。北アフリカでは同じくベルベル系のムワッヒド朝が、ムラービト朝にかわりマラケシュを首都に発展しました。
 エジプトでは、ファーティマ朝にかわり、クルド人のサラディンという者がアイユーブ朝をたてました。アフガニスタンや南アジア世界の北側では、ガズナ朝にかわり、ゴール朝が発展しました。

モンゴルの時代(13世紀)

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 いよいよモンゴルがやってきます! フラグ(フレグ)という男に率いられて、モンゴル軍が攻め込んできたのです。これにより、アッバース朝はついに滅亡してしまいます。
 一方、エジプトでは、アイユーブ朝にかわり(トルコ系の)マムルーク朝が力をつけ、フラグを撃退しました。イスラーム世界のリーダーの役割が、アッバース朝からマムルーク朝にうつるわけですね! 実際、マムルーク朝は、アッバース朝のカリフを保護した、とされています。
 フレグは、占領した地に国をたてました。それをフレグ=ウルス(イル=ハン国)といいます(首都はタブリーズ)。
 南アジアでは、ゴール朝にかわりデリー=スルタン朝が支配するようになります。デリー=スルタン朝というのは、デリーを首都にしたいくつかのイスラーム王朝をまとめた言い方でした。実際には、「奴隷王朝、ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディ―朝」をまとめた言い方です。この王朝は16世紀まで続きますよ!

ポスト・モンゴル(14世紀~)

14世紀の危機の時代
 この時代は、フレグ=ウルスが滅亡した一方で、新たな勢力がいくつか力をつけました。(トルコ系やモンゴル系の)ティムール帝国(首都はサマルカンド)と(トルコ系の)オスマン帝国です。特に、ティムール帝国は広大な地域を支配しました。

アジアへのあこがれの時代(15世紀)
 この時代も、マムルーク朝、オスマン帝国、ティムール帝国が並んだ時代でした。ただし、ティムール帝国はだんだんと衰え始めており、かわりにオスマン帝国が力をつけていきます。

大航海の時代(16世紀)

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 この時代は、オスマン帝国の全盛期です。マムルーク朝をやぶり、イスラーム世界のリーダーの役割を受け継ぎます(伝説では、オスマン帝国は、マムルーク朝のカリフを連れ去ったようです)。
 また、南アジア世界ではデリー=スルタン朝にかわり、ムガル帝国が登場します。ムガル帝国がロディ―朝を破った戦いをパーニーパットの戦いといいます。
 西アジア世界では、ティムール帝国なきあと、(イラン系の)サファヴィー朝(シーア派)が発展しました。
 西には、トルコ系でスンナ派のオスマン帝国。東には、イラン系でシーア派のサファヴィー朝。こうおさえるとスッキリしますよ! サファヴィー朝がシーア派だった影響で、現在のイランでは、シーア派が多数派となっています。

その後の時代
 17世紀も、オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国が並ぶ時代となりました。ただし、17世紀の危機の時代をおえて、イギリスやフランスなど、ヨーロッパのアジア進出が加速するに従い、だんだんとこれらも衰えていきます。
 18世紀にはサファヴィー朝が滅亡し、19世紀、イギリスの時代にはイギリスがムガル帝国を滅ぼしました。なおサファヴィー朝なきあと、イランの地は、分裂の時代を終えてカージャール朝(シーア派!)が支配しました。カージャール朝も19世紀を通じて、ヨーロッパ(ロシア含む)の圧力を受け続けた、そんな王朝になります。
 オスマン帝国も最終的に第一次世界大戦に敗れ、滅亡します。その際、カリフ制を廃止したことで、名実ともにイスラーム世界のかたちが失われたことがポイントです。イスラーム世界のリーダーとしてのカリフがいなくなってしまったのです。
 オスマン帝国なき後の地域は、「地球という1つの世界」に広まりつつあった、主権国家体制に組み込まれていくわけですね!


 今回は以上になります。
 では、最後に、ラップで復習しましょう!↓
https://youtu.be/HfOoVw-ef_o


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