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東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史【第17章】

 こんにちは!東大生ラッパーの法念です。前回は「第16章」で「第二次世界大戦」の話をしました。(目次はこちら
 今回は、「冷戦」の様子をみていきます。ではいきましょう。

冷戦へ

 二度の世界大戦を通じて、アメリカ合衆国が覇権を握るにいたりましたね。それに、ソ連も力をつけていました。一方イギリスやフランスなどのヨーロッパは大戦で疲れ切っています。ソ連と合衆国が「民族自決」を唱えたのを覚えていますか? このような二つの国が台頭した一方、植民地帝国のイギリスとフランスが存在感を保てなくなったことで、帝国主義の体制は終わりを迎えています

 さて合衆国とソ連は、お互いに競いあいながらも、もしお互いが戦争をしたら地球は滅亡してしまうという意識も持っていました。確かに二国とも主導権を握りたいとは考えていますが、地球が滅亡するくらいなら、そして他の国が台頭してくるくらいなら、この二国が中心となった体制を守りたいとも考えています。ときに二国は対立しつつ、ときに協調して、トップ2の地位を守り続けようとするわけです。

 合衆国もソ連も、それぞれいくつかの国々を従えて、大きなグループを作っていきました。合衆国は、日本やイギリス、フランスなど資本主義国を従えました。とくに、南北アメリカ大陸や西ヨーロッパの多くが合衆国側の勢力となったことは重要です。ソ連は東ヨーロッパ諸国など社会主義国を従えました。また、中国では、社会主義国となるか資本主義国となるかで争いがあったのち、社会主義国である中華人民共和国が誕生しました(1949年)。こうして中国がソ連側の勢力に加わったことで、社会主義陣営は資本主義陣営を脅かすようになりました。

 ただし、上にも書いたように、合衆国もソ連もお互い衝突は避けようと努力します。それよりかは、お互いがそれぞれの陣営のトップに君臨できている現状を維持することを選びます。こうして、合衆国とソ連は火花を散らさずに、しかし相手に主導権を握られないように睨み合いを続けました。この睨み合いを「冷戦」とよびます。熱戦にならなかったからですね。

 ヨーロッパではたしかに冷戦の状態でした。しかし、アジアでは合衆国とソ連のかわりに、現地の資本主義側勢力と社会主義側勢力が熱戦を繰り広げるといったことがおこりました。朝鮮戦争はその代表例です。

第三勢力の形成

 アジア・アフリカはイギリスやフランスの植民地でしたね。しかし、上に書いたように、イギリスやフランスはもはや帝国主義の体制を維持できてなくなってきています。こうしてアジア・アフリカの国々はイギリス・フランスなどから次々と独立していきます。

 当時、中華人民共和国は、ソ連側(つまり社会主義勢力)につくものの、独自に行動できないかと模索していました。そこで中国は、1947年にイギリスから独立したインドと手を組み、合衆国やソ連と距離を保って、新しい勢力を形成しようとします。

 これを第三勢力といいます。アジアやアフリカの国々で団結して、冷戦の動向にいちいち左右されずに、独自に平和の道を探ろう、というものです。とくに、アジア・アフリカは長く植民地の地位にあったことからも貧しい国が多い状態でした。一方ヨーロッパや合衆国は豊かな国が多く、この貧富の差への反発もありました。ヨーロッパや合衆国が北半球に多く、アジア・アフリカが南半球に多いことから、この対立問題を南北問題とよびます。「南側」の国々で団結しようというのです。

 1955年にアジア・アフリカ会議というものが開かれ、第三勢力の結集を訴えました。この会議の成功はアフリカの国々に勇気を与え、1960年には17の植民地が独立して「アフリカの年」と呼ばれました。

2020年04月25日22時20分19秒_page-0001

多極化

 このような第三勢力の出現もあり、合衆国とソ連は、いくつかの緊張はありつつも、既存の体制(二国がトップ2となる体制)を守るために協調を強めます。

 また、存在感を薄めていた西ヨーロッパは、団結することで発言力を強めようとします。二度の大戦がヨーロッパで始まったことから、協力して平和を守っていこうという意識もありました。こうして、EU(ヨーロッパ連合)の前身であるEC(ヨーロッパ共同体)という組織が、1967年に作られました。

 一方、第三勢力の結集もうまくはいかなかったようです。まず、第三勢力の中心であった中国とインドが、国境をめぐって紛争を起こしました(1962年)。また、「南側」の国々の間でも対立が見えてきました。南側のなかでも、石油を持っていたり工業化を進めたりして豊かな国と、カカオやゴムなど農産物くらいしか作れず、経済発展が遅れた貧しい国との差が開いてきたのです。南側どうしの対立なので、この問題を「南南問題」とよびます。これらの対立によって、第三勢力の結集も中途半端に終わりました。

 こうして、世界を二つに分ける「冷戦」は、それぞれの国が独自の行動をとる「多極化」によって、いってみれば「ぐちゃぐちゃの状態」になっていきました。合衆国とソ連は、お互いに睨み合いを続けるお金も足りなくなってきており、またソ連は社会主義もうまくいかなくなっていました。「冷戦」という体制が維持できなくなってきたことを背景に、合衆国とソ連は協調を強めていき、ついに1989年に冷戦終結宣言が出されました。

 今回は以上になります。冷戦がどのように始まり、どのように終わっていったのかをつかめましたか?
 実はもう一つ、世界史を貫くストーリーの上で大事なことが起きています。それは、アジア・アフリカの国々が独立したことで、いちおう地球全体に「国民国家」を前提とする主権国家体制が広まった、ということです。この講座は、バラバラの「世界」がひとつの「世界」になる様子をみる講座でした。経済だけでなく、「くにの形」も一つのシステムで統一されたわけですね。この話は、次回きちんと復習しますよ!
では、最後に「冷戦」の復習ラップを聴いて復習しましょう!
https://youtu.be/qux3LWn_k2A

 次回、ついに最終章です。今一度世界史を貫くストーリーを確認し、世界史を大雑把につかみますよ! 冷戦後の世界についても触れていきます。 お楽しみに!


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