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幸せになる方法70 資本主義と距離を取る

お金が余り必要ない発展途上国の田舎に住む人々が先進国の幸せ先進国の北欧に住む人並みに幸福度が高いことが判明したんだって。資本主義の社会って何をするにも対価が必要だもんね。お金を稼ぐのも大変だし、支払う瞬間も苦痛を伴うもんね。

自給自足って言葉が魅力的に聞こえるのは資本主義に疲れてるから?

数年前、幼児がパンを食べたら無くなったと言って泣いたという記事を読んで、感心したことがあります。

物心がつけば、子供でもパンを食べて無くなったら、もっとパンが欲しいと、大人にねだることはあっても食べたら無くなったという事実に不満をぶちまけることはありません。

なぜなら、極々、当たり前の現象で、現実の物理法則の世界で生きている以上、受け入れるしかないからです。

これはどんな傲慢で我儘な独裁者でも受け入れて生きているわけです。

現実の物理法則に躾けられていると言ってもいいかも知れません。幼児の記事はその事に気づかせてくれました。

そんなある日、ぼくはこんな記事を見つけました。

「お金の要らない社会」では幸福度が高くなるとの研究結果

要約すると以下の通りです。

お金は人間の生活に欠かせないものですが、お金が多ければ多いほど幸せになれるというわけではありません。実際、貨幣制度が最小限の役割しか果たさない社会に属している人々の幸福度は、世界的に幸福度が高い地域である北欧諸国に匹敵することが研究で明らかになっています。彼らはお金を稼ぐことよりも、音楽やリラックスなどのアクティビティに関する回答が多く、自由に生活を楽しむことが幸せの要因だと考えられています。

「お金の要らない社会」では幸福度が高くなるとの研究結果の要約

これは僕らが現実の物理法則から躾けられているように、貨幣制度にもいつの間にか躾けられているという事実の一端を表しているのではないだろうか?と、ぼくは考えました。

つまり、資本主義社会、貨幣制度社会に生きていて、当たり前過ぎて、意識していませんが、何かを得る、何かをするという時に対価としてお金を払うという行為自体に、人は本来、不満、ストレスを感じているのではないかということです。

常識の壁を取っ払って考えてみて下さい。ディズニーランドに行っても、焼き肉を食べても、最新のiphoneを手に入れるにも、お金が要らなかったらどうでしょう。間違いなく、今よりハッピーになれませんか?

お金を払うと言う行為自体がストレスであり、苦痛なのです。ですから、貨幣制度の中に生きる我々は常にそのストレスにさらされて生きているわけです。

その証拠の一つが先ほどの「お金の要らない社会」では幸福度が高くなるとの研究結果なのです。

ぼくらのように強力な貨幣経済で生きている人間は、

ディズニーランドに行って楽しむ=幸福度+90、ワンデーパスポートの代金を払う=幸福度-50、

焼き肉を食べる=幸福度+75、代金を払う=幸福度-35

最新のiphoneを手に入れる=幸福度+120、代金を払う=幸福度-75

というようにトータルでは確かに幸福度は上がっているのですが、そこには対価というストレスが常に付きまとっているわけです。

その昔、イチロー選手が「人の金で焼き肉が食べたい」というTシャツを着ていて話題になったことがありました。

そうです。自分の金で焼き肉を食っても幸せになれますが、人の金ならもっと幸せになれるのですw。

一方で記事にあった貨幣経済が最小限度しか機能していない地域の人たちは代価が不要なアクティビティを楽しんでいます。

「音楽を聴く」「リラックスする」「海辺に散歩に行く」というものです。

ラジカセを抱えて、夕日の沈みゆく浜辺を散歩して、リラックスした時間を過ごしても、偉大なる大自然は代金を要求しては来ないのです。

いやいや、モノを得たら対価を払うのは当たり前で、そんなものは先進国の人間はストレスに感じていないという人もいるかも知れません。

それではなぜこれほど食べ放題、サブスクリプションが、流行っているのでしょう。

やはりそれは、お金を払うという行為自体がストレスで、一度、支払いを済ませてしまえば、以降は対価の心配をしなくてもよいということに、資本主義にどっぷり漬かってるぼくらも、魅力を感じているからではないでしょうか?

焼き肉屋で食べ放題を食べるときのあの解放感、万能感たるや、他では言い表せません。

どうやら資本主義貨幣経済は全体の発展にとっては有意義なものかも知れませんが、ぼくらを少しづつ傷つけるシステムのようです。

このことから考えられる幸福論は2つ。

1、対価を支払う機会を減らす。
食べ放題やサブスクリプションは対価を支払う機会を減らしてくれます。また必ず払わなければならないもの。例えば、家賃、電気代、ガス代、水道代、ネットの回線代などは、口座引き落としなどにして、実際に支払う行為をしなくて済むようにしておくといいかも知れません。

2、対価不要の楽しみを持つ。
対価を払う度に幸福が損なわれるのですから、貨幣制度が最小限の役割しか持たない地域に住む幸福な人々のように「ラジカセを抱えて、夕日の沈みゆく浜辺を散歩」のような対価の不要な楽しみを見つけて、それを実践するというのはどうでしょう。

 海の中を泳ぐ魚が海の水を意識しないように、資本主義・貨幣経済の中にどっぷりと漬かっているぼくらは、その当たり前のシステムを意識していません。

 しかし、そのシステムが実は幸福を損なっているとしたら、資本主義の海から上がることはできなくても、時々はその水面から顔を出して、お金では買えない、対価の必要のない楽しみを見つけるのは、本当に大切なことかも知れません。

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