#4 「殻を破れ!」から、全てが始まった話
小澤征爾さんが天に召された。
クラシックに疎いわたしでさえ
「世界のオザワ」の、顔と名前と、「すごい人」という認識はある。
何がどうすごいのかは、全くわからないのに。
故人を悼むニュースで、在りし日のインタビューが流れていた。
「外に出るべきですよ、特に音楽なんてやろうって人間は。
殻を破らないと。
殻を破ろうとする、
そのエネルギーがまず大切です。」
…ちょっとうろ覚えながら、
とにかく、印象に残った。
「殻を破れ!」
役者になろうとした一番最初の頃。
養成所で何度も言われた言葉。
そして、そのたびに
「ホンダは、殻を破れないね」
と、何度も言われた言葉。
わたしにとっては、懐かしく苦い言葉。
今は、本当にその通りだったと思える。
失敗が怖い。
間違いが怖い。
だから、挑戦ができない。
チンケな自分の鎧や殻を
ただただ堅くするばかり。
守りを固めるばかりで、
自ら、自陣の外へなかなか出て行けない。
弾けるとか、
型破りとか、
自由とか、
そういう言葉とは対極。
だから、全くクリエイティブな人間ではなかった。
役者なのに(笑)。
誰かの正解を見つけ、
そこに順応して、沿うことを、
無意識に無自覚に目指して、
そうしなければ「安心」できないから。
「安心」を欲しがっていたから、
挑戦の為の「勇気」が持てなかった。
だから、「殻を破れ」と言われるのは当然。
でも。
その当時は、自分なりにがむしゃらだったし、
とにかく、他人からの評価を得たくて、
闇雲に頑張ってもいて、
それはそれは、盲滅法だったから、
そんなこと言われても、
なぜ、そのフィードバックをもらうのか、
どう、それを理解するべきなのか、
そして、どのように「自分に適用」するべきなのか。
何一つ、
冷静に分析して咀嚼することもできず、
建設的に自分に応用することもできず。
ただ、
「今のままの自分では、
他人に評価されないのだ」という、
そもそもの自尊心の低さゆえに、
自動的に強い自己否定感を育ててしまうだけだった。
殻を破らなきゃ。
どうしたら、殻を破れるのだろう?
在りし日の「世界のオザワ」が、
命ほとばしるように語る
「殻を破らないと!」とは、
まさしく「月とスッポン」なのだが、
20年前、わたしの役者人生は
この言葉からスタートしたようなものだ。
で、クリアできたのだろうか?
それはわからない。
ダメ出しはされても、されっぱなしで、
答え合わせや振り返り、検討の機会など
無いのが、普通。
ただ。
「変わらなきゃ」
「今のままじゃダメだ」
という、意識が強く刷り込まれる
キッカケになったことは確かだと思う。
そこから「自分と向き合う日々」が幕を開けた。
まずは自分を知って、把握しないことには、
何も、どう「殻」なのかもわからないから、
割ろうにも割れないし、進まない。
とにかく、自分を知らないと。
何が、殻なのか突き止めないと。
で、20年経って。
あの頃より、少しは殻を破ったかもしれないと、思える時がある。
いつ破ったのか、わからない。
「破ってる!」という感覚とか自覚もない。
案外、無我夢中でそんなことなど考える暇もなく、
目指すものに純粋に集中できていて、
誰かの目を気にする暇もない時、自然に破れていたように思う。
ちなみに。
誰かに「殻を破ったね」と、言って欲しいと願ってしまうことがある。
わたし自身がそうだった。
でも皮肉なことに、他者の評価を気にしているうちは、
絶対に殻を破れない。
だって「他人の評価を気にする」ことそのものが、
「殻」の正体だからだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?