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とある劇作家と演出家の話

劇作家と演出家って、実際には兼ねていることが多い。少なくとも、身の回りを見渡したところ、どちらかの役職に特化した人は多くない。

その私の身の回りには数少ない、特化型の劇作家と演出家が話すのに居合わすのは、大変面白い。

劇作家というのは、演劇のためのセリフとかの本を書く人のことで、演出家というのは、その本を役者とか装置とかで舞台作品にする人のこと、という説明でいいかな。もちろん、演出家も劇作家もいろんな人がいて、こういうものだと言ってしまうと、そのそばで正反対の例が出てきたりすることもあると思うから、あえてここはざっくりとしておこうと思う。

特化型のとある演出家が、ある作品を観たときに、「その作品を書いた人物、劇作家への興味は沸いたが、それ以上のものはなかった。演出家が舞台化する必要はなかったんじゃないかと思った」と言った。以降は、特化型のとある劇作家との二人のやり取りを、再現してみる。なぜか標準語で。

劇作家:どういうこと?

演出家:劇作家が面白いもの、面白い視点で何かを書いたとして、それ以上のものが舞台に載せられないんだったら、元の本を読めばいいだけの話であって、わざわざ舞台化しなくてもいいんじゃないかなということ。

劇作家:でも、その作品は、舞台化を前提として書かれたものなんでしょう。

演出家:だとしても、それ以上のものが提示できなかったら、舞台化は不要では?

劇作家:劇作家は上演して欲しくって書いているわけで。

演出家:「して欲しい」?わからないなぁ。

劇作家:本でも読めるとは言っても、劇作家は演劇の本を書いているわけだから、演出家を通して世に出ることを前提にしているんだよね。

演出家:そう。それで、その演出っていうのは、劇作と対話して、作り上げるものだと思うんだよね。

劇作家:対話って。

演出家:書いた本人と話すわけじゃないよ。作品と向かい合って、対話して、劇作家だけの世界じゃない、かといって、演出家が勝手に全部創作するわけじゃない、もう一つの答えを導かないといけないような気がするんよね。

劇作家:元の作品とは離れていくという?

演出家:壊すわけじゃなくって、だから、対話して、何が言いたい作品か、そして大事なのが、今の時代にどうしてこれを舞台化する必要があるのか、っていう答えを、出していかないといけない。

劇作家:なるほどぉ。(納得いってない)

もう時間が経過してしまっているから、随分と私の創作が入ってしまったかもしれないが、大体こんなやり取りだったと思う。

恐らく、なるべく本に忠実に舞台化して欲しいという劇作家と、自分が演出をする意味を表出させなくてはならないという使命を持つ演出家の、静かな戦いだったんじゃないかと受け止めている。

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