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タクシー運転手に憧れる小学生だった。

小学校とか中学校で、よく「将来の夢」を聞かれる。おとなから。そこでの「将来の夢」は、就きたい職業のことが多い。

そのことについて、「職業がゴールなわけではない、職業をゴールにすると定年後抜け殻になる、職業は夢をかなえる手段であって、目標にすべきではない」みたいな話をここ数年よく聞くようになって、なるほどなぁとぼんやり思っていたけど、そうは言っても、いわゆる「仕事」にかかわっている時間が、人生の中で圧倒的に多いわけだし、職業は象徴的で、イメージを共有しやすいから、そんなに目くじら立てることじゃないような気もする。

私は、ずっと「将来の夢」に、「タクシーの運転手」と書き続けてた。就学前はよく覚えてないけど、小学生の低学年あたりから、中学生に上がるくらいまで、聞かれれば、そう答えていたと思う。

理由ははっきりと覚えている。

私の家は、結構長い間、車を持たなかったから、緊急のときとか、荷物が多いときには、タクシーを活用していた。

そして、使うたびに驚かされた。

行先の名前や特徴を言うだけで、見ず知らずの人が、目的地へスムーズに連れて行ってくれるのだから。

子ども心に、めちゃくちゃかっこいいと思った。

だからかどうだか知らないけど、自動車の免許は、かなり早いうちからとった。そしてよく友人とドライブに行った。

ある日、私も含めて、男女三人でドライブしようという話になって、車を出した。元々は普通の友達同士だったのだけど、そのうち私以外の二人が付き合いだした。当日になるまで想像ができてなかったのだけど、二人で後部座席に乗り、助手席は空席ということになった。ドライブ中、後部座席で彼らはいちゃついていた。

ちょっと古い日本映画に、「バカヤロー!私、怒ってます」というのがあったのだけど、その中のタクシードライバーの気持ちが、その時の気持ちにぴたっとリンクして、タクシーの運転手へのほのかな夢が、ふわっと消えていったのを、すごく鮮明に覚えている。

幼いころに出会ったドライバーの方が優秀すぎたのか、大人になってから出会う方は、道を知らなかったり、ナビが使えなかったりで、残念な気持ちになることは多いのだけど、今でも、タクシーのことを考えると、ちょっと胸が熱くなる。

タクシー運転手に限らず、お客さんの注文に対して、オーダー通りのものをそつなく提供したり、的確な質問を返したりするさまに、今でも憧れを持っているのかもしれない。

子どもに将来の夢を尋ねるときも、その職業を通じて何がしたいのかというところまで、掘り下げられると良いのかもね。

その子どもたちから、何かと運転に駆り出される現状を考えると、形だけ見ると、私の夢は叶っているとも言えるのかもしれない。助手席に率先して座ってくれるから、よりよい形で叶えられているのかも。

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