車をぶつけたおじさんと少しだけ心を通わせた話
日曜日、その場所を通ってしまった。
もう10年以上前のことだ。その場所で私は軽い接触事故を起こした。
T字路を左折しようとした。その道は交通量が少なく油断してたのと、おそらくぼんやりしていた。
右をしっかりと確認せずに左折した。のだと思う。正直記憶にない。気付けば私の車の右前あたりに、別の車がぶつかっていた。
やってしまった。
ぶつかった車には60代くらいのおじさんが一人で乗っていた。私も一人だった。
ほとんどスピードを出しておらず、幸いにもお互い怪我はなかった。
焦った。初めて事故を起こしてしまった。まずどうするべきなのかが全く分からなかった。
車内からおじさんが出てくる。私は謝った。「すみません、きちんと確認せずに出てしまって。本当にすみません」と。
本心だった。私がぼんやりしていたせいで迷惑をかけてしまった。とりあえず警察に電話をした。現場へ来てくれると言う。
そして私は夫に電話した。夫は電話にでなかった。
警察はその後すぐに来てくれた。私達に連絡先を交換することを促し、事務的に書類に書き込むとさっさと帰ってしまった。
おじさんと二人。どうしたらいいんだろう。
おじさんにどこへ行く予定だったかとたずねてみると、奥さんが入院していて面会にいくところだったらしい。
ますます罪悪感が募った。
おじさんの車は現場まで車屋さんが取りに来てくれるらしい。私の車のほうが軽症で運転できそうだった。
「病院まで送りましょうか。」
そう口にしてしまった。
「じゃあ乗せてくれるか。」
とおじさんは言った。
10分ほどの移動だった。ぽつぽつと会話を交わした。内容は覚えてない。なんでもない話だったのだろう。
ただ覚えているのはおじさんは怒ってはいなかったし、私もその時には平常心だった。
迷惑をかけてしまった。だからせめて奥さんと予定通り面会してほしいと思った。
夫からの着信に気付いたが、運転中だったのであとでかけなおすことにした。
おじさんは到着する少し前にこう言った。
「気い付けて運転せなあかんで。」
その言葉には、たしかにおじさんの優しさが含まれていた。それは娘に対してかけるような。思いやりがちらりと覗く声だった。
「そうですね。気をつけます。」
事故した二人は笑顔で別れた。少しだけ心を通い合わせてしまった。これが失敗だったんだ。その時はまだその事に気付いていなかった。
夫に電話した。それまでのことを全部話した。
怒られた。
事故してすぐに謝ったことを、車におじさんを乗せたことを、余計な話をしたことを、軽いとはいえ事故をした車を運転したことを。
私の言動は世間知らずだったようだ。
すぐに保険屋さんに電話をした。事故の時は警察と保険屋さんに電話して、あとはお任せするものらしい。
保険屋さんはすぐ来てくれた。早口のおばちゃんだった。事故直後謝ったと言ったら「謝ったらあかん!それやと7:3までしか取れへんから。」 と言われた。
6:4とか7:3とか8:2とか。修理費に対して保険屋さんから支払われるお金のことだ。
「気が動転してしまっていて、すぐに謝ってしまったんです。あとは保険屋さんにお任せします。って一言言っておけば100%あなたが悪い事にはならへんから。」
後ろから一方的にぶつかったのなら100%悪いが、サイドと正面なら、おじさんも前をしっかり見てなかったんじゃないかとの事だった。
わからない。本当のことなんてわからない。
私はおじさんに電話した。
保険屋さんに言われた通りに言った。
一通り話を聞き、おじさんはこう言った。
「あんた、誰かに知恵入れられたんやな。もうええ。」
怒っているようでもあり、淋しそうでもある声だった。
病院まで送り届けるまでの車中、最後におじさんにかけられた言葉を思い出す。
大げさではなく消えてしまいたかった。
7:3とか8:2とかどうでもいい。
世間知らずだったがゆえにこんな事になってしまった。少しだけ心が通じあった瞬間があって、それが余計に私を苦しめた。
最初から気持ちなんて関係なく保険屋さんに電話すればよかったんだ。きっと次に、したくはないが事故をしてしまったら私はそうするんだろう。
もう感情で動いたりはできない。
正しい対処の仕方を知ってしまったから。じゃあ正しいって一体何なんだろう。私にはまだわからない。
安全運転をしよう。
この苦い経験をプラスに考えるとしたら、そう強く思えるようになったことだろうか。
もう二度とあんな思いはしたくない。
あの場所を通るたび胸がちくっと痛む。きっと、この先もずっと。
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