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8月・かわいい服を着ればかわいくなれると思っていた

わたしは洋服が好きなのだろうか。
それとも好きな洋服を着た自分が好きなのだろうか。
そんなことを考るきっかけとなった遠い夏の出来事について今日は書きたい。

中学3年生だった。
春に修学旅行があり、わたしは憧れのラフォーレ原宿に行った。

雑誌大好き少女であり、一番ときめいたのはジッパーやキューティーの世界。
当時はカラフルな髪色、厚底の靴を履いてフリルのついたデコラティブな洋服を着こなす街角スナップの人々、読者モデルたちが誌面を飾り、ああなんてかわいいのだろうとうっとりと眺めた。
パフィーのようなアメカジ派やシンプルカジュアル、奇抜な古着を着こなす人。
なんというか個性が溢れまくっていたのである。
それぞれにおしゃれで素敵だった。

その春のジッパーの誌面。
一目惚れした洋服があった。
それはわたしが住んでいる地域には売っていないブランドのもので、ラフォーレ原宿に行けば買える。

修学旅行の班行動で原宿に行くことが決まっていたわたしは胸を躍らせた。
あの洋服の実物を見られるかもしれない、あわよくば買えるかもしれないと。
その夢は叶った。
わたしは雑誌に穴が開くほど眺めた憧れの洋服を手に入れたのだった。

さて、その憧れの洋服いつ着る?
ジュディマリだ!!

90年代後期、大大大好きだったジュディーアンドマリーのライブに中3の夏、初めて行くこととなった。
そこに着ていこう。
ジュディマリとその洋服の世界観はピッタリと合うように思えた。

そこまでは良かったのだ。
ライブ会場でわたしは打ちのめされた。
同じ洋服を着た人がいたのだ。
しかもその人は洋服がかわいいだけではなく髪型もコーディネートもお化粧も。
その存在自体がとてもかわいくて、そう思った瞬間にわたしはすぐにでも着替えたくなってしまった。

恥ずかしい。

とてもじゃないけどその洋服が似合っているとは言えない自分。
お化粧も知らない、髪も真っ黒、靴も合わせたスカートも、決して垢抜けているとは言えない、夏で赤黒く日焼けした中学生のわたし。

かわいい洋服を着れば自動的にかわいくなれるなんてことは当然なくて、おしゃれはトータルなのだ。
当時そこまで言葉にできるほど理解したわけではなかったが、服がかわいいだけじゃダメなんだと、身をもって実感した出来事となった。
(ライブはめちゃくちゃ良かった!!)

洋服は好き。
でもそれ以上に、鏡に映った自分をトータルで見て「なんかかわいいんじゃない?」と思う瞬間が一番好きなのだ。

それを手に入れるまでにはたくさん挑戦して失敗しての繰り返し。
それってなんに対しても言えることだよなあと思う。
今日めっちゃ良い!と思っても後から写真を見て失敗だったんだなと思うこともあるし。

そうやって30年近くやってきたのだから少しくらい自己プロデュース能力もついてきただろうか。
好きな洋服を着て、好きな見た目でいることは、弱気な自分を少しだけ強くしてくれるお守りのような存在なのです。






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