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「信念」

 
皆で決めた事がある。2013年の3月に始めた会社のメルマガ配信。・・・それは8年間約束を守っている。しかし、僕のコラムの原稿を出すのが遅く、月初めの配信予定が中旬になっている。今月は、今日が20日なのでせめて原稿だけは下旬にならない様にと、今、画面に向かってキーボードを叩いている。・・・忙しいは理由にならないのは分かっている。テーマが頭に浮かばない・・・いやいや信念の希薄である。それに引き換え僕が講師を務める地元F大学の教え子、S幸四郎君の信念は強く揺るがない。
先月7月24日にS君が所属する「田楽座」の公演があったので初見参に臨んだ。
ステージの上から響く祭囃子や太鼓の音、日本各地の祭りや伝統行事に伝わる神楽や盆踊り、そしてS君が演者となり昇華した獅子の舞に、切に願う新型コロナで疲弊する今の世界の人々への「疫病退散」「無病息災」の気持ちの強さが漲っていた。
 学生時代(15年前)のS君は明るく素直で何事にも一生懸命だった。彼は「太鼓」が好きで好きでこれで生きていきたいと言っていた。・・・その話を聞いた時に、当時から話題沸騰の大分の竹田市に拠点を置く和太鼓集団である「DRUM TAO)にでも入りたいのかと思っていたのだが、・・・卒業前に、長野県伊那市を拠点とする「田楽座」に入る。と聞き、正直、本当に驚いた。僕の僕の講義は経済学部のA教授が主導するベンチャー企業論の補講講義での産業戦略論、その教え子が長野の「田楽座」という舞台芸能集団に加入すると、「食えないぞ!」「大変だぞ!」誰もが思う、その言葉を口にしたと思う。全く持って安易な言葉を吐いてしまったと今では反省している。・・・失礼な話で申し訳ありません。・・・その時、杉君は言い切った。「大丈夫です。人生を掛けています。」…強い信念に裏付けされたその言葉の重みと情熱の火が焼き付いた彼の眼に揺ら揺らと燃えるのを視た記憶が鮮明に残っている。それから、数年は彼の活動報告を当時の同級生から伝え聞き、元気で過ごしている事を訊いていた。また、福岡で公演がある前に僕がパーソナリティを務めた番組にも出演をしてもらった事もある。番組中に話を訊くと経済的には決して恵まれた状況ではなかったが、本気で取り組む事で感じる事が出来る充実感と達成感を持ち合わせていた。
3年前、教え子たちが祝う僕の還暦の席で、杉君が謳う民謡は朗々と僕の心に響いた。ある意味「凄み」も感じた。
信念をもつ事は誰でも出来る。通し続ける事が難しい。どんな状況であっても貫く杉君は僕の先生である。
・・・ステージの上で太鼓を打ち叩く杉君は燃えていた。田楽座のメンバーの打ち鳴らす鈴や太鼓、民謡を歌い、舞う姿、彼らの姿と子供の頃の村の鎮守のドンドンヒャララ・ドンヒャラと朝から聞こえる笛や太鼓の音とお祭りで歌い舞う人々が頭の片隅に微かに残る記憶と重なった。「無病息災・五穀豊穣」を神に願う。その姿は、地域の人々のエネルギーを高める「地力」。そして負けない心を育む「自力」の二つの韻を踏んでるのではないだろうか? それは信念の成せるものなのかもしれない。

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