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そのままで、いいんだよ。自然とそのリズムの中に、私達は生きている。

『秋の実り』を、感じること、感じようと思ったことが、今まであっただろうか。


梨や柿がスーパーの売り場に並びだし、街の樹々が少しずつ赤や黄色に色づいているのをみて、
「ああ、秋がきたんだな」
と感じることは、もちろんあった。

ただそれは、「秋」を感じていることのように思う。

そうではなく、冬の寒さをこえて、春の芽吹きがあって、夏の強い陽射しを吸い込んで、「秋の実り」があることを、季節の巡りを、自然の恵みを感じること。

それらを感じるきっかけをくれたのは、娘の通う幼稚園だった。


今日は、「秋の収穫祭」の日。

よくある、「おいもほり」とか、お野菜を収穫するものではなく、先に述べたような『秋の実り』をお祝いするための、お祭りだ。

園庭と、教室には、祭壇を作ってくださる。
祭壇は、子ども達が拾ってきた、秋を感じるもので、美しく彩られる。
落ち葉や木の実、夏ミカン、からすうり、柿・・・。

お祭りは、ドンチャカするわけではなく、たて笛の優しい響きと、子ども達と先生方の歌声と、園長先生のすてきなピアノだけで進行する。

子ども達は、ずっと集中して先生方のお話しを聞き、歌い、踊っていた。
その集中こそ、先生方が「今の子ども」に対して真っすぐに関わり、子どもの心身の発達を考えてくれている証ではないかと感じた。
また、幼稚園のことが好きになった。(もうすでにすっごい好きなんだけど)


年中の娘は、「秋の収穫祭」を迎えるのは2回目。
つまり、私も2回目だ。

娘が年少の昨年、幼稚園の初めての「収穫祭」や「おもちつき」などを通して、自然の恵みや季節の巡りが、当たり前のように与えられ、回りにあることに気付かされた。私は、生かされている、と感じた。

それまでは、忙しく過ごしていたせいか、気づかなかった。
いや、目に入っていて気づいてはいたけど、それは他人事だった。私には関係ないのころで動くもので、勝手にやってきては、いつの間にか通り過ぎるもの。

それが、カラリと変わった。
私達人間は、自然の恵みや季節の巡りの『中』にあり、生活を送りリズムを繰り返しているんだ、と気づいてから、いろんな事に『気がつき、感じ取る』ようになった。
季節の変わり目の温度、湿度、空の色、日の出と日暮れの時間。
新緑ってこんなにきれいだったっけ?と感じたし、夏の海のおおらかさと眩しさに魅了された。

娘も、幼稚園で同じように教えてもらっているから、きっと同じように季節や自然を感じ取っているかなと思うと、嬉しく感じる。

秋の実りを、季節の訪れを感じることで、『今ここに生きている』ということを実感できると思った。
自分を肯定しなくても否定しなくても「ただそこにいていいんだよ」と言ってもらえている気がした。



ちなみに収穫祭では、役員のお母さん方が中心になって、豚汁を作る。
私も今日、作ってきた。なかなか出来ない経験。楽しかった。

子ども達、先生方へ振る舞い、最後には自分たちでもいただく。
みんなで、おんなじごはんを食べる、って少し特別な気がする。

ああ~~豚汁の写真撮ればよかったあああ!!!大後悔。




そんなわけで今日は大量の豚汁づくりで疲れたので…
この辺で終わりにさせていただく。

皆様は、今年秋の実り、感じましたか?
よければコメントで教えてくださいね。

最後までお読みいただきありがとうございました!


hona


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