リレーエッセイ「わたしの2選」 / 『長くつ下のピッピ』『ロシュフォールの恋人たち』(紹介する人:岩辺いずみ)
「懐かしい!」と声を上げた人、いますか? (いたら嬉しい!)
映像翻訳者の岩辺いずみです。映画やドラマに日本語の字幕をつける仕事をしています。英語圏とフランス語圏をメインに、ポーランドやアイスランド、トルコからシリアまで、いろんな国の作品を手がけてきました。と言っても何か国語もできるというわけではなく、英語とフランス語の作品以外は英語のスクリプトや字幕を頼りに訳しています。
今回、思い入れのある2作品を紹介するにあたり、どんな切り口で選ぶか、だいぶ悩みました。ほんやくWebzineらしく翻訳にまつわる作品で、どうせ書くなら楽しく紹介できるものがいい。映像翻訳者らしく1つは映画にしたいけれど、好きな作品が多すぎて絞れない!
さんざん悩んだあげくに選んだのは、私を翻訳の世界へ導いてくれた大好きな2作品。外国文化に憧れるきっかけを作った1冊と、憧れが詰まった1本です。
『長くつ下のピッピ』
まずは私が子供の頃に夢中になった児童文学です。著者はスウェーデンを代表する作家アストリッド・リンドグレーン。彼女が娘のために「足長おじさん(パッパ・ロングベーン)」をもじった「長くつ下のピッピ(ピッピ・ロングストルンピ)」の話を毎晩しているうちに、できあがったという話はあまりに有名です(スウェーデン語のカタカナ表記は巻末の「訳者のことば」参照)。
いくつか和訳が出ていますが、私が慣れ親しんでいるのは大塚勇三さんの訳。『スーホの白い馬』の作者としても有名ですが、改めて読み直してみて翻訳とは思えない読みやすさにびっくり! …と翻訳者が言うのもナンですが、子供向けなので平仮名が多いにもかかわらず、ひと目でスッと頭に入ってくるのです。「訳者のことば」の日付は1964年10月! 私が生まれる前の日本語とは思えません。
ピッピの本名はピッピロッタ・タベルシナジナ・カーテンアケタ・ヤマノハッカ・エフライムノムスメ・ナガクツシタで、“ごたごた荘”に住んでいます。警官に、学校でかけ算の九九を習うように言われても、「竹さんの靴なんてものを知らなくったって、9年間、ちゃんとやってきたわ。」と知らん顔。牛や馬を軽々と持ち上げる力持ちで、誰にも束縛されず、自由気ままに生きています。
タベルシナジナなんて訳を見ているだけで、ワクワクしてきます。いったい、原語はどんな言葉遊びになっているのでしょうか? スウェーデン語はまったく分からないので知るよしもないのですが、「訳者のことば」によると、英語版やドイツ語版は言葉のしゃれのような部分を略してあったそうです(1964年当時)。台詞の面白さは細部に宿るというのは、映画やドラマの翻訳をしていてもつくづく感じること。日本語版も言葉のしゃれを略されていたら、私もここまで夢中にならなかったでしょう。
何よりも私が興味を引かれたのが、ピッピが焼く「ショウガ入りのクッキー」。今ならジンジャークッキーやジンジャーブレッドで通じますが、昭和真っただ中に瓦屋根の家で育った子供にとって、「ショウガ」と「クッキー」の組合せは衝撃でした。どんな味なんだろう? 食べてみたいけどマズそう。でもピッピたちはおいしそうに食べている…。そんな悶々とした思いが、外国文化への憧れに変わっていきました。初めてジンジャークッキーを見つけた時は感動で震えましたし、今もIKEAで見かけるとつい買ってしまいます。
私が翻訳という仕事に目を向けたのも、ワクワクする言葉を通じて新しい世界を知ることができたおかげ。日本語の基礎も児童文学で培われたのだと、改めて実感しています。
『ロシュフォールの恋人たち』
私のオールタイムベストな1本と言えばこちら。ジャック・ドゥミ(監督/脚本/作詞)とミシェル・ルグラン(音楽/作曲)による1960年代の名作です。『シェルブールの雨傘』が陰なら、こちらは陽。とびきり明るくてオシャレで楽しくて、だけど切なくてちょっと毒があるのはドゥミ&ルグランならでは。見るたびに「大好き!」と叫びたくなる作品です。
リアル姉妹のカトリーヌ・ドヌーヴとフランソワーズ・ドルレアックが双子役。2人の歌と踊りはどちらかというとヘタウマ。だけど華やかで目が離せない! ジーン・ケリーやジョージ・チャキリスのダンスもすばらしいけれど、ハリウッド映画で見せるキレッキレとは違ってユルさがある。フランスのミュージカルは歌や踊りに完璧さを求めず、ハリウッドとは違う味わいがあるのです。
この作品を初めて見た時は、こんな世界があるのか!と、心をわしづかみにされました。いえ、そもそもミュージカルだし、町の人たちがレオタードで踊るような世界はもちろんないし、それどころか建物にペイントして町全体をセットにしちゃってるんですが、すべてがピタッとはまっているんです。私にとっては現実よりもリアル。この世界に入りたいと心から願うほど、オープニングからどっぷりと浸ってしまいました。それ以来、私はずっとロシュフォールの世界を探している気がします。
私が見たデジタルリマスター版の字幕は、古田由紀子さん。スッキリと小粋な(という形容がピッタリ)言葉で細かいニュアンスまで伝えていて、映像を楽しませる余裕があります。カタカナの多さに時代を感じますが、言葉自体は古さを感じさせません。だけど、もし、新訳をつけることがあれば、絶対に私が訳したい! あの台詞、あの歌を訳したい! この場を借りて宣言(宣伝?)しておきます。関係者の皆さま、機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。
こうして振り返ってみると、私は外国文化、特にヨーロッパへの憧れから翻訳の世界に入ったのだなぁと、しみじみ感じます。ショウガ入りクッキーや革靴を履いた子供たち、バカンスを楽しむ若者や、大きなダイニングテーブルを囲んでワインを飲みながら楽しげに話す大人たち。映画でも現実でもそういうシーンに遭遇すると、今でも心が躍ります。
どの国の作品でも、たわいもない会話や歌を訳すのが大好き。私にとって翻訳は異文化の光景とセットになっているもの。映像翻訳という仕事は、そんな私に合っているようです。
執筆者プロフィール 岩辺(いわなべ) いずみ
カナダに1年、スイスに1年留学。大学卒業後に女性誌で編集&執筆の事に就く。アメリカに4年滞在後、ライターの仕事をしながら日本映像翻訳アカデミーと、フェローアカデミーのアンゼたかし氏のゼミで学ぶ。字幕担当作は映画『キンキーブーツ(松竹ブロードウェイシネマ版)』『mid 90s ミッドナインティーズ』『冬時間のパリ』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』、ドラマ『ビリオンズ』『POSE』など多数。
HP&ブログ:「ワイン好き翻訳家のお仕事日記」
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