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リレーエッセイ「わたしの2選」/ 『本当の夜をさがして』『野生のオーケストラが聴こえる』(紹介する人: 三輪美矢子)

はじめまして。翻訳者の三輪美矢子と申します。2020年は、だれもが少なからず価値観を揺さぶられ、変化を経験した年だったのではないでしょうか。この記事では、そんな今年を象徴するキーワードのひとつであり、私自身が大切にしている読書テーマでもある、「人間と自然とのかかわり」について考えさせてくれるノンフィクション翻訳書を2冊ご紹介します。読み終えたとき、この星に生きていることをあらためて祝福したくなるような2冊です。(※は関連記事へのリンク)

本当の夜をさがして


“anthropause”という言葉をご存じだろうか。辞書には載っていない。anthropo(人間、人類)に pause(一時停止、中断)を掛け合わせた造語で、読んで字のとおり、「人間活動の一時停止」を意味する。この言葉が生まれたのは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による世界各地の最初の都市封鎖が緩和されてまもない 2020 年6月。人の移動が地球規模で著しくスローダウンした数か月を経て、その間に自然界(主に野生生物)に現れたさまざまな影響を説明するために、科学者たちが新語を編み出したのだ()。

東京近郊にお住まいの方は、緊急事態宣言下の空がいつになく澄んで青かったことを覚えているかもしれない。都市封鎖中のサンフランシスコ湾岸地域では、野鳥のさえずりがふだんよりも「魅力的」になったという()。新手のウイルスの大流行で無数の尊い人命が失われ、人間界が途方もない痛手をこうむる一方、多くの人が社会活動を止めて巣ごもりすることで、自然がつかのま息を吹き返し、本来の姿をささやかながら取り戻した。それが、あの沈うつな春の日々に差し込んだ一筋の光明であったことは、データがなによりも物語っている()。

そんな anthropause の興味深い影響のひとつに、夜の暗さの回復がある。商業施設などの人口光が少なくなれば、当然ながら夜の闇は深くなる。より自然な暗さに近づく。都市に暮らしていると意識する機会もほとんどないが、自然の闇は、サンゴ礁や熱帯雨林などと同じく、急速に失われつつある環境資源なのだ。ポール・ボガード著『本当の夜をさがして 都市の明かりは私たちから何を奪ったのか』(上原直子訳、白揚社)は、そうした現代の光害のリスクについて、またこの春、あるべき姿を垣間見せた自然の夜の豊かさについて、貴重な示唆を私たちに与えてくれる。

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夜を照らす光は強さも量も増すばかりで、もはや「本当の夜」は世界の都市に存在しない、と著者ボガードは述べる。ここでいう本当の夜とは、「真に空が暗い」か、「光害の影響が一切ない」夜のこと。たとえば、童謡の『きらきら星』の英語詞が作られたのは19世紀初めだが、作詞者が見上げていたような天の川が輝く夜空は、今ではアメリカの子の8割が(少なくとも日常的には)見られないという。また光の無秩序な氾濫は、エネルギーの無駄になり、街の美観を損ない、さらに重大なことには、夜に働く人々の健康や夜行性生物の生存もおびやかす。人工灯が文明にもたらした恩恵は計り知れないが、闇をこのまま悪者扱いし、明るすぎる光を安全と繁栄のものさしにし続けるかぎり、本当の夜は、「経験する機会がなければ、懐かしむすべもない」ものになってしまう、とボガードは警告する。

もっとも、光害のリスクや難点に警鐘を鳴らすことだけが本書の目的ではない。ボガードは、ナチュラリストが手つかずの荒野を目指すように、原始の暗闇を求めて、北米各地と西ヨーロッパの暗い場所を訪ね歩く。さらにその旅は、旧知の宗教家やアメリカ先住民との対話を通じた、夜と闇をめぐる哲学的思索に及んでいく。谷崎やリルケが引用される「夜と文化」の章は、ミネソタ州の大学でクリエイティヴライティングを教える、作家ボガードの筆がとりわけ冴えるパートだ。

そして読者である私たちは、ボガードとともにラスベガス(光害を表す基準「ボートル・スケール」が地上で最も高い場所)のまばゆい光の柱を見上げ、ゲーテが愛した19世紀の満月夜のローマに思いをはせ、著者の故郷ミネソタの暗い湖にカヌーで漕ぎ出しながら、本当の夜をめぐる旅とは、私たちが失ったものを再発見する旅だったことに気づく。良質なサイエンス書であり、環境文学(ネイチャーライティング)としても高く評価される本書の魅力はここにある。ぜひ、著者が紡ぎ出す美しい夜の情景や思索の言葉を堪能してほしい。

私自身は、11年前、アメリカ西部のナバホ族の居留地モニュメントバレーで、本物に近い夜を体験したことがある。ホテルの明かり以外の光が一切侵入しないメサに闇が下りると、地平線の端から端まで信じられない数の星が現れ、燃えるように空が輝いたことを覚えている。なにより驚いたのは、空が白み始めた朝焼けの時間にも、ほぼすべての星がはっきり見えたことだ(余談だが、このとき少女時代の愛読マンガ『月の夜 星の朝』を思い出して、「星の朝とはこれか……」としみじみ感動した)。あの夜を体験したことで、私の人生はまちがいなく変わった。アメリカの自然に興味が湧き、ネイチャーライティングと呼ばれる文章を読み始め、もっと深掘りしたいと、科学書翻訳の勉強も始めた。子ども時代の読書が人生とキャリアの下地を作ったとすれば、今の自分に通じる直接の道は、あの息をのむような星空から始まったといえる。本当の夜には、そんな人生の行く先をも変える力が確かにある。

野生のオーケストラが聴こえる

ボガードが人工光のない夜の豊穣さを説いているとすれば、人工音が消えた世界の――原始の人類が聞いていたであろう――自然の音の響きを体感させてくれるのが、バーニー・クラウス著、『野生のオーケストラが聴こえる サウンドスケープ生態学と音楽の起源』(伊達淳訳、みすず書房)である。



ミュージシャンから音響生態学者に転身したクラウスは、40 年以上にわたり、風や雨などの非生物の自然音や、そこに棲む生き物の発する音が一体となって織りなす「サウンドスケープ(音の風景)」を収集している。それらは調和しながら、オーケストラのように重層的なメロディを奏で、初期の人類に音楽のインスピレーションも与えてきた。本書の特設サイトで公開されているその音は、驚くほどみずみずしく、北極圏のツンドラからアマゾンの山岳部まで、世界が命の息吹に満ちあふれていることを実感する。著者の TED でも一部が紹介されているので聞いてみてほしい。

そうした自然のコーラスは、ただ美しいだけでなく、健全な生態系の維持にも寄与しているというのがクラウスの持論だ。録音したサウンドスケープに音楽に似た構造を見出した彼は、生態系がその領域に固有の音響環境を築いていることを示唆する独自の仮説にたどり着く。残念ながら、クラウスが収集してきた野生のシンフォニーの大半は、近年の開発や人工音の増加により、かつての複雑な響きを失ってしまった。けれども、暗い空が保護活動を通じて復活しつつあるように、私たちが身のまわりの音への意識を変えれば、野生の音も本来に近い響きを取り戻せる可能性はある、とクラウスは言う。原発事故から 20 年たったチェルノブイリで収録されたサウンドスケープは、人間の介入がやんだ土地で、生態系がみずからを癒やしていく様子を鮮やかに示している(私が本書で一番胸を打たれた音でもある)。


ちなみにクラウスの「音響ニッチ仮説」は、本書の刊行から7年たった今、新たな広がりを見せている。渋谷を拠点とする日本のスタートアップが、この仮説に着想を得て、自然環境さながらのサウンドスケープを自動生成する音響マシンを開発しているのだ()。それは、川のせせらぎなどのいわゆる「癒やしサウンド」とは違い、持続的な自然環境がもつ音響構造を、その場に最適化された形で再現するという画期的なものである。渋谷のような人工的な街に、そんなサウンドスケープが出現したら、人々の意識や心身の状態はどう変わるのだろうか。ストレスはまちがいなく減るだろうし、認知機能が改善されれば、重大事故につながる医療ミスや車の運転ミスも減らせるかもしれない。自動車のシステムではなく、音環境を人間にとって自然な状態にすることで、そんなことが可能になるかもしれないのだ。


人間が活動を(ウイルスの伝播も含めて)止めれば、地球が自己修復を始めることは、この春でいよいよ明らかになった。今回紹介した2冊は、その先にある未来の可能性を私たちに見せてくれる。何十年もかけて積み上がった環境負債がすぐに返せるとは、私も思わない。それでも、この2冊が明に暗に提示する自然環境との共存のあり方には、コロナ禍を経た私たちがこの先、何に価値を置くのか、自然とどのようにかかわりたいのかを問ううえで、ささやかだけれど大切なヒントが詰まっているように思う。それは、私たち人類が「災害の世紀」と呼ばれる 21 世紀を生き延び、文明をもう一歩前に進めるためにも、重要なヒントとなるのではないだろうか。


なんだか壮大な話になってしまったが、そんなマクロな視点をミクロな個人の体験に落とし込んでくれるのが、本というメディアの良さでもある。ボガードとともにアリゾナの砂漠で天の川が影を落とす闇に身を浸し、クラウスとともにアフリカの草原でコノハズクの声に聞き入るとき、私たちの心のなかには新たな絵が描かれる。その絵と、あの4月の空の青さが時空を超えてつながるとき、ある人はもしかしたら家の庭のソーラーライトをひとつ消し、別の人は通勤中にイヤホンを外して、風の音に耳を澄ませる。本の、そして言葉のもつ質量と熱量は、そんなふうに、ほかのメディアにはできない方法で読み手の感情に働きかける。


一介の翻訳者にできることは限られているようで、実はとてつもなく大きいと思うのは、そんな力を実感するときだ(上に挙げた2冊にしても、上原直子さんと伊達淳さんの見事な翻訳がその魅力を支えていることは言うまでもない)。翻訳者としての私はまだまだ発展途上で、壁にぶつかってばかりだけれど、だれかの心の世界が少しでも豊かになるような、良質で刺激的な文章をたくさん読み、訳し、そうした新たな世界との出会いの喜びを、翻訳を通じてみなさんと分かち合えたらと思っている。


■執筆者プロフィール  三輪 美矢子(みわ みやこ)

東京都在住のフリーランス英日翻訳者。教養学部語学科出身。レコード会社勤務等を経て、翻訳の世界に入る。2008 年から 2013 年まで、アメリカ中西部(インディアナ州およびイリノイ州シカゴ郊外)で暮らした経験から、自然の魅力に開眼。現在は、出版翻訳とウェブ記事の翻訳を中心に手がけている。訳書に、『ピック・スリー 完璧なアンバランスのすすめ』(東洋経済新報社)、『アインシュタインズ・ボス 「天才部下」を率いて、最強チームをつくる 10 のルール』(TAC 株式会社出版事業部)、『10 RULES 最高のキャリアを作る 10 のルール』(ポプラ社)、『バーボンの歴史』(原書房)など。より良く生きること(健康や社会・自然環境や未来予測を含めたウェルビーイング)に関心がある。


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