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多様化に要不要なものを考えてみた

自閉症児育児とひとり親。マイノリティサイドの私が「多様化」について必要なものを考えてみました。

したらば、不要なものは「無知」で、必要なものは「想像力」かなと思ったんです。

今日は、時間もなくて少し殴り書き。

意見の分断

自閉症の我が子たちが、スーパーで大声出すと怒られて悲しかった。そう話すと、私を擁護する声が上がって意見が対立する。結果として、社会が憎しみあって終わることもあって、悲しいよねってずっと思ってた。

昨日の共同親権の話もそうで、結局のところ何を話しても意見が分断して応援されたり攻撃されたりして終わる。すると「あー、またやっちゃった」ってなるんだよね。

けれど、そういう意見の分断を社会で日常的に見かける。

多数派が「迷惑だ」と主張し、少数派が「ひどい」と返す。両者とも自分の中にある正義を生きながら戦い続けてる。

無知と想像

「ベビーカー持ってバスに乗るな」ってのは何度も聞いた。他にも、全盲で...うつ病で...外国人が...これらを主語にした意見の対立もあちこちに溢れてる。「多様性」って言葉を取り入れようとすればするほど、社会は逆に争ってる。

私はこれら全て「無知」が招いたものだと思っている。さらには知っても対立が終わらないのは「想像力」の問題だと思ってる。

無知の原因は、暮らしのテリトリーが狭いことと学ぶことの機会損失が原因。

じゃあ、想像力は?人は自分が想像できないことを非常識と呼びます。だから、悪いことをしていない誰かを責めないためには、想像力を養うことはすごく大切。想像力は鍛える必要があるし、生まれ持った力も違う。

けれど「無知」と「想像力」をカバーしたところで、みんな実生活に手一杯だったりもする。育児をしない人には育児はどうでもよかったりするし、定型発達の子育て中も方には発達障害のことも遠い世界のこと。鬱になってしまった人の暮らしも、国内で暮らす外国人のことも、知って想像したところで、実生活の重みに比べると大きな意味を持たないのかもしれない。

恥ずかしながら、私がそうです。

けれどもですよ

けれど、私はもっともっと社会のことを知りたい。知って想像しても、相手を傷つけたしまうこともあるかもしれない。それでも、相手の世界から何が見えて何が見えないのかを考えたい。善人振りたいんじゃなく、多様な考えを持つことで私自身が楽しく生きられると思うんよね。

私は外国に行くのが好きだし、海外の人の話を聞くのも好き。私の常識範囲を超えた世界の人たちからアイディアをもらって「そうか!」とひらめくことも、これまでの人生でいっぱいあった。

自分の正義では、世界は広がらない。想像力を狭く生きるのもそれもひとつの生き方。けれど、私はいろんな世界や暮らしを知って考えて「楽しい」を広げて生きていきたいな。

そんな人生にしていきたい。
だって人生100年時代なんでしょ。

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