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コロナと正見

東京都のコロナ感染者が100名超えを4日連続となった。これ事実をふまえてどう振舞うか?

事実を考えてみないといけない。コロナウイルスそのものは、ソーシャルディフェンスを守ること、飲食等による感染が起こること、マスク着用、うがい手洗いの習慣化などをした上で、不特定多数と交わらないことが必要となろう。

となれば、同居する家族はよきにせよ悪しきにせよ大きな存在となろう。

ウイルスの特徴

ウイルスの特徴として、遺伝子情報がインフルエンザの倍あるという話、感染過程でミスコピーが起こりやすく。弱毒化や強毒化もインフルエンザ以上に起こりやすい。日常生活でのソーシャル・ディフェンスがより大事となる。

コロナ禍における災害

熊本での豪雨災害、通常ならば、ボランティア活動に関して即座に活発化するが、このコロナ禍では、簡単にことは運べない。

都市に住むとは過密、すなわちウイルスに罹患しやすい環境と言えるのでは?ということは、各地方としからの長期移動はボランティアをする人物のリスクもさることながら、被災された地元の方々にもリスクを与えかねない。災害復旧との難しいバランスがあるだろう。

昨年、千葉も台風被害で苦しんだが、建物被害のみならず、水道、電気というライフラインが途絶えるケースもあった。自坊も一週間以上電気は来なかった。となるとコロナ禍おける復旧作業は、これからの我々にとって他人事はずがない。

いついかなる場合で、我々に差し掛かって来ないとは限らない。そんな中、自分も入っている西野亮廣エンタメ研究所ではこんな話になっている。僕も些少だが・・課金しました。


自然環境と我々

コロナを我々の自然破壊が原因すなわち、ウイルスが本来寄宿するべき動物や環境を破壊したものであるとするならば、今回のことは我々の行為に原因があると言えないだろうか?

福岡伸一『ロハスの思考』では下記のごとき文章が存在している。

人間が環境を強引に操作使用としたとき、必ず人間は環境から、操作以上の「報復」(リベンジ)を受ける。それは環境が動的な平衡状態、即ち流れの中にあるからだ。流れをダムで堰き止めようとすれば、流れはどこかにそのポテンシャルを蓄積し、やがて、より大きな力が予期せぬ場所と時刻に噴出する。(中略)そして、私たちは操作の延長上に解答はないことを知るのである。(69頁)

仏教はこの点をどう考えるのであろうか。
 
人間は自分の視点でものを見る。これは自分の欲望、こうあってほしい、この方がよいという観点でものを見てしまうことを意味している。
ものごとを正しく見る(正見)ことは仏教の修行の基本とされている。しかし、基本だからこそ難しいし、努力目標ともいえる。万人にできるはずもない。かく言う私も自分の都合のよい立場や考え方でものを見がちだ。
 『法華経』方便品でも十如是で物事を分析することとそれを一連のものとしてみることの大切さを説いているが、これをできるのは覚者(悟った人、欲望を制御できた人)だけだという。

実は今朝、仏教哲学者で社会活動家のジョアンナメイシ―が執筆者の一人である『アクティブ・ホープ』を読んでいると、こんな文章に遭遇した

生命持続型のしくみとして新たに姿を現しつつあるこうした流れを支え、参加するとき、私たちは「大転換」の一部となる。どんなふうに旅をするか、どこで何を買うか、どうやって貯金をするか、といった選択を通して、私たちがこれからの経済の発展の仕方を決めるのだ。社会的企業、マイクロエネルギー事業、地域社会の啓蒙活動、持続可能な農業、そして倫理的な金融システムなど、これらすべて集まって、生命持続型社会という、内容豊かなパッチワークをつくるのである。だがそれだけでは十分ではない。こうした新しいしくみは、それを裏打ちする価値観によって支えられなければ、社会に根付いて生き残ることはできない。(41頁)

正しく見るの向こうに正しく行動するがあり、その根底として揺らぎのない価値観が必要ということなのであろう。こう言いながら言うは易し行うは難しだと思う。

最近買った、フェアートレードの作務衣も天然素材故に色落ちが酷くて扱いが難しいし、間伐材塔婆だって見た目は決して良くはない。多少の不便や見苦しさは確かにあるが・・・根付かせるために維持できる間は維持しないとと感じた朝だった。


 

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