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五十にして

12月9日の朝日新聞の朝刊 欧州季評はブレイデイみかこさんが『頼るのは自分という境地』という文章を書かれている。

イギリスでは、コロナ禍となり、若者の政治への関心が高まっているとの話だ。ある高校では、二大政党のいずれを指示するか?を聞いたが、特に既存の政党でなく、自分自身の党をつくりたいという意見が圧倒的であったことに触れ、

もはや「カリスマティックな指導者や政党に何とかしてもらう」のではなく、「自分自身でやってる」という境地に達しているのではないか。安直に「無政府主義」と理解されてきたアナキズムが、自治と協働の思想として見直されていることとも無関係ではないだろう。

と結論づけている。

さて、ひるがえって日本を考えてみる。我々の子供世代は政治に興味を持っているだろうか?

十八歳から選挙権を与えたが、若い世代の投票率は低い。悪い意味であきらめがある。ベストな選択以外は投票しないは無理だし、そもそも投票に行かないは政治家が若い人のための政治、次世代を意識した政治でなく、今投票してくれる高齢者を中心に据えた政策を考えがちになりやすい。

それでは長期思考にはなり難い。

昨日、某寺院建築会社が自坊に訪れた。最近、オンラインでわたしも卒業した未来の住職塾のケーススタディ講座を行った後の効果と今後の寺院に必要な研修に関して質問が及んだ。

納骨堂や葬儀法事は大切だが、人口減少社会は、そこに価値を置いても持続可能性は低い。地域活性化を考えることが生き残る方法であること。現在の檀家制度はおそらく、ヒューマンコンポスティングなどが環境問題から必要となり早晩維持できなくなること。一方で現在の檀家数の3分の1程度でも生活できる寺院でないと次世代にバトンタッチが難しいのではないか?と話をした。

その後、某研究所のオンライン会議で宗勢調査のデーターを検討したが、経済的打撃と時間的余裕の相関関係がみられた。コロナ禍になり法事や葬儀、会議がへり移動がへり時間的余裕ができたのでは?と個人的には発言したが…

これはこれで問題だと思う。会議が減る時間ができるまではよい。それをなにに費やすか?

長期思考を考えあらたな研修をする。活動をするができるはずだ。果たしてこの二年間をどう過ごしたか?考え、行動変容するチャンスはあったはずだと個人的には思う。

現在自分は、オンラインで複数のワークショップや読書会を行っているが、これもコロナ禍でなければ出来なかったと思う。そろそろリアルで行いたいと考えている。

孔子は「十五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」という。人間が生み出した環境破壊、そこから生じたコロナは、我々にあり方や社会への疑問を突きつけている。

解はないが、惑いながら探している。あきらめないで探すがおそらく、自分の天命であり。その姿が次世代へのメッセージになるのではないか?何かに依存するでなく、自らで考え生きる、そこに賛同者を募ることが自治と協働であり、アナキズムであるならば…アーナキストは魅力的だと感じる。

ちなみにブレイデイみかこさんの『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』

はかなり考えさせられる。作者のセンスが光る一冊です。


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