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緊急事態宣言が終了した。第1波での対応が緩和されていくことになるであろう。

そんな中で寺も少しずつではあるが、日常を取り戻していくことになる。

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昨晩2ヶ月ぶりに本休寺で写経を開催した。ソーシャルディスタンスに気をつけつつ。

写経、読経、お茶をした。今回は自坊も参加しているツナガリイムの写仏を紹介し、行われる方も・・。

読経はマスクを着けて行い、お茶はペットボトルでという感じで・・男三人で近況報告をしながら、スティホームの間の話をしていましたが・・明らかにある種の緊張感が続いている感じがした。

善くも悪くも

緊張感があるなか、自坊や代務寺院は日常を取り戻していくが、それは今までとは明らかに違う部分を持っている。

それは、今まで以上にその場にいく価値が問われるということではないだろうか?

実際、この3ヶ月近くの間、外食はせず、外出もせず生活をし、衣料品もろくにかわず生活をしている。混雑をさけ、移動をせずに生きている。人に会うがパソコンの画面ごし、それで打ち合わせも研修も可能になった。

もう会わなければならないこと、体を共に使うもの、異空間でなければならないことでないと出て来てくれない。

昨日の感想で集中できた、ようやく外に出てきたという意見が出た。それは多分、異空間で、それしかできない空間に赴く価値を教えてくれているのではないだろうか?

これからの役割

サードプレイスと言う表現をよく聞く、会社、自宅以外の場所というわけだが、寺院がサードプレイスになろう、なれないか?という挑戦は今までもやってきた、これからもやっていく。

ただし、ただ会う無邪気に会うが難しい時もある。それでもそこにしかない価値をどう創造するか?

復活が難しいものもある。例えば、子育てサークルや子供会などは、人数が読めないし、どうしても今までのやり方では、走り回ってしまう。子供会は小学生なのである程度違うアプローチを考えることでできるかも知れないが・・難しい。

一方でテンプルモーニング(お寺朝掃除の会)は可能性があるものかもしれない。(この点はいつか検討したい。)

いずれにせよ、三密を避ける空間を持っている寺院は多い。その空間を用いて何を行うか?何ができるのか?問われている。



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