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お盆の棚経

施餓鬼に関して話をしましたが、お盆の棚経に関してはどうだったか?コロナの実態的影響を考えつつですが…

ファクト、ロジックで考えるとエンタメ研究所の指摘になります。

しかし、人間は感情に流されますし、一軒でも起これば…なんて思います。

かなり考えましたが、一軒一軒伺いました。引金木鉦に消毒ジェルを持ち、マスクを付けて伺いました。お茶はいただかない、お経を読み、マスク越しに話をしつつですが…

8月8日から伺う形をとりましたが、例年最終日である15日までかかるものが、14日の午前中に終了となりました。これは、お茶を飲まなかったためと思われます。お経回りって基本、お経を読むことがメインと考えがちです。しかし、実際は状況調査みたいな部分もある。生活の乱れや悩み事をお聞きする貴重な機会であり、何気ない会話をする。日常話せない相手と話をする機会なんだと思います。

コミニケーション

過日、お施餓鬼の折、数年前から彼岸やお盆に伺うようになったお檀家さん(女性)から、旦那さんがお茶を楽しみにしているとの話を頂いた。定年退職の後、引っ越しされたので友人がいない。家族は旦那さん以外は女性、女性とは違う男性との会話を楽しみにしているとのこと。

旦那さん自身は、どちらかというと当初宗教には否定的でありました。普通にお二人と会話をすることで、ご一緒にお経も読んでいただけるように・・・

田中修司『大きな嘘の木の下で』

しかしインターネットが普及して、今は業者間の取引もネットで完結できてしまうような時代になった。仕入れは誰にでもできるので、そこに価値はあまり生まれなくなってしまったのだ。      では、同じような商品が並んでいた場合、最終的に人はどこで買うのか?           「人」を選んで買うようになる。「この人と過ごす時間があるから、この人が薦めているから、ここの商品とお金を交換したいと思うようになるのだ。(中略)                   これからは「OWNDAYSのとを買う」ではなく「○○さんがいるからOWNDAYSで買うという時代になっていく。時代はモノ消費からコト消費へと移り変わり、今は「ヒト消費」の時代に突入したのだ。

お経回りも同じではないだろうか?お経そのものは、音声を手に入れることは可能であろう。お経の上手下手はもちろん問題だが、そこでのコミュニケーションが生命線というのは、商売であろうと棚経であろうと変わらない。

そういう意味で今回の棚経は、時間は短縮された。それにより一日ほどの余裕も生じた。一方で檀家さんとの交流は減っている部分は起こっている。今後この形が続くと・・不要との意見も出るのではないだろうか?

いかにコミュニケーションを図っていくのか?は今後の課題となろう。

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