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優先順位

コロナ禍になり変化したことは、優先順位のあり方ではないか?と考えることがある。

従来、どうしても世間程というものにこだわる部分があった。坊さん同士の付き合いもそうだが、無理をして関わるが減った。また、代替え方法が存在し、その方が有効なんてものもある。

時代の変化をどう読み取り行動するか?の選択が変化してきている。一方で、元に戻りたいという考えもあるだろし、それは立場によって違ってくる。

このnoteでも考えを述べてきたが、コロナ禍での生活のあり方などは、それが如実に現れる。現在、世はまん延防止等重点措置中、お寺は基本行事に参加するだろう人数に合わせて検討しており、半数以上を2月は停止にした。一律にしないのは、状況とオミクロン株の特性との兼ね合いを見つつだからだ。

立ち止まって考えるが基本になる。3月以降どうなるか?は不明だ。また開催していても読経はやめ、プチ瞑想などに変えたりもしているケースもある。なんでもかんでもやめるでなく調整しつつになる。

世界的には経済を優先する姿勢が見え、日本も結局追随する形になりそうだなと個人的には見ている。

個人的だが、仏教、寺院、僧侶がそれでよいと言うべきかは疑問になる。もちろん、経済を回さないと生きていけないし場合によっては自殺者も出る。現状の資本主義とはそういうものであり、致し方ない。しかし、無為無策で元に戻すではなく、グランドデザインから考え直す機会にもするべきではないだろうか?経済発展を前提としたSDGsにむやみに賛同するのでなく、立ち止まって考えるべきだと思う。その点で、ユニバーサルベーシックインカムも十分考えるべき要素がある。

『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか (講談社現代新書)』 でも最終章はこの問題を扱っている。

かつてブータンはGNPに対抗してGNHを表面した。しかし、インターネットによりグローバル化した後、色々な価値観に触れ難しくなっていることをかつて新聞で読んだ。これはローカル社会とグローバル社会の関係性を見せてくれている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/72b471f1ca478c2231b06769301045d78d072e6a

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO87199540T20C15A5000000/

ただこれも、コロナ以前でありZOOMやスカイプを頻繁に使用しなかった時代でもある。

個人的には、飛行機に乗らなくても国際会議も研修会もできる時代、環境破壊をしながら環境を議論するナンセンスをやめるべきだと思う。今いる地域で世界とつながるが可能になった社会でローカルとグローバルを考え直すべきところにきていないか?

もちろん感情としては、人と会うは大切だし、全身で向き合うが必要だと思う。バーチャルには限界がある。人と人との関わりあいが必要だし変化を生み出す。だからリアルが全面禁止とは思わない。分人主義を主張した平野啓一郎さんの最新作でもAiの限界とリアルな人間関係の大切さが描かれている。『本心』

ただ、それは土台となる地球や環境を破壊しては難しい、それ故に優先度合いを考えないといけなくなる。どうしてもリアルでないとできないことなのか?オンラインで補えるのか?立ち止まって考えたいと思う。

そのためには、沢山の情報を精査し考えるべきだろう。わかりやすい話をなるべく法話では心がけてはいるが、社会を判断する時は気をつけないといけない。

ル・ボン『群衆心理』 2021年9月 (NHK100分de名著) 

を今朝読みつつ、わかりやすさに負けない理性が必要なのではないだろうか?なんて考えている。

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