幸福な「晩年」

何が楽しかったのか、
今もよくわからない。
集まった先輩後輩も、
「楽しかった」と
メールをしてくるが、
理由はわからないだろう。

タイで日本企業の社長をする
K先輩が日本に一時帰国し、
後輩3代が中野に集結。
羊料理と赤ワインの店で
それぞれの今の生活を
語り合っただけに過ぎない。

歳を取ってからわけもなく
楽しいことが多くなった。
しかし若い頃だってあった。
つまらないことに大笑いし、
あとでなぜ笑ったかわからない。
わけもなく楽しかった。

だけど、わけなんて
どうでもいいのである。
楽しかったなという、
思いが残るだけで
人は幸せなものなのだ。
なんかよかったなと。

若いときのように
大笑いして過ごせる。
そんな幸福な晩年が
あってもいいじゃないか。
孤独な晩年は寂しい。
仲間と過ごせる晩年はいい。

*太宰治が生涯唯一の遺書になる思いで
自殺を前提に書いた『晩年』は僕には寂しい。
健康で長生きして最後まで楽しく過ごしたいのだ。