地の底から句を吐く

学校で習ったからか小林一茶は誰も知る俳人だ。

「痩せ蛙 負けるな一茶 ここにあり」

「やれ打つな 蝿が手を摺り 足を摺る」

蛙や蝿にまで優しい目を向ける人だと思っていた。


ところが藤沢周平の『一茶』を読んで驚いた。

金に固執し女に溺れる俗物中の俗物である。

俳句を教える宗匠といえば聞こえはいいが、

人を頼りに飯を食わせてもらう、たかりだ。


いつまで経っても名は上がらずに貧困のまま。

世を拗ね憎み、皮肉と悪態、嘲笑と自嘲の日々。

「散る花や すでにおのれも 下り坂」

「よるとしや 桜の咲くも 小うるさき」


詠む句は日々の悲しく侘びしい己が表れ出てくる。

そのうちに自らの老いを感じてきてしまうのだ。

「老ぬれば 桜も寒い ばかりなり」

「老いが身の 値踏みをさるる 今朝の春」


長野の片田舎から継母に嫌われ江戸に出された。

こらえ性の無さから奉公先を転々と変え、

遂に三笠付けなる御上が禁ずる賭博俳句に手を染め

そこで俳句の才能を見いだされて成り上がろうとした。


多くの俳人が裕福な家に育ち

何不自由なく俳句に打ち込めたのと比べ、

あまりに悲惨、その上に不幸がのしかかる。

貧困のどん底から不幸のどん底で這いつくばる。


「こういるも 皆骸骨ぞ 夕涼」

「秋の風 乞食は我を 見くらぶる」

とうとう花の江戸での出世に見切りを付けて

生まれ故郷に帰るも自分の居場所を作ることができない。


奪うように家を持ち、52歳になって28歳の嫁をもらった。

極貧の旅暮らしから根の生えた幸せがもたられるはずだった。

ところができた子供が次々と死に、遂に妻も病死した。


最期は気立ての良い3人目の妻の下、65歳で生涯を閉じた。

「死支度 致せ致せと 桜なり」

一茶の句が胸に迫り、心に食い込んでくる。